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| 初めに
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1987年頃、静岡市(当写真撮影時は清水市)の草薙神社付近を歩いた時の写真です。
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<----------------------- 画面の横幅標準(これくらいの幅で見ると見やすい) ----------------------> |
| 採光用屋根の廃屋
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| 廃屋
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| 廃屋
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| 静岡市内
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左にSANYOが見える
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| 静岡市内の古い町並み
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| 静岡市内の古い町並み
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| 草なぎ神社一の鳥居
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草薙神社のWIKIによれば、この鳥居は2020年に撤去されたとのこと
「 草薙駅そばの市道をまたいで建つコンクリート製「一の鳥居」が、1950年代から存在していたが、2020年に撤去された。 2019年に一部表面に破損が発生していることが確認された。2018年頃より地域住民や氏子より草薙神社に管理の問い合わせがあったため神社側で改めて確認したところ、神社の所有財産ではなかったことがわかり、市や県の過去の記録が確認される事態となった。その結果、1975年に静岡県が事業主体となる区画整理の一環で市道の拡幅工事を行った際に、原状回復補償として県が同じ場所に新たな道幅に合わせて再建したものの、その時点で所有者不明だったことが改めて判明した。つまり、1970年代よりずっと、修繕等の管理が一切ないまま地元のシンボルとして存在していたことになる[7]。 老朽化による倒壊の危険性があるため周囲住民より撤去の要望が出され、静岡市は2020年3月24日より同年6月15日にかけて、所有者に対して除却を命ずる公告を行ったが[8]、所有者が名乗り出ることはなかったため、市が鳥居脇の石碑2つの撤去と周辺の電話や電気等のケーブル移設費用を含め1100万円の費用を出して強制的な略式代執行を行う方針を発表し[9]、同年内に撤去された。 」 |
| 長寿
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祝敬老 清水市長 主催 清水市老人クラブ連合会 清水市社会福祉協議会 明治28年2月1日以前に生まれた人(160人) 昭和62年(1987年)8月1日現在
清水市は現在(2025年)は存在しない市である。清水市のWIKIによれば 「 清水市(しみずし)は、静岡県中部(駿河国)にかつて存在した市。現在の静岡市清水区の大半で、旧蒲原町および旧由比町を除いた部分に当たる。特例市に指定されていた。 2003年4月1日、静岡市(〜2003年3月)との合体合併(新設合併)により、現在の静岡市(2003年4月〜)の一部となった。静岡市と清水市を合わせて静清〈せいしん、せいせい[注釈 1]〉という呼称があり、それから静清合併と呼ぶことがある。 」 |
| 日本武尊像
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草薙神社のWIKIによれば
「 草薙神社(くさなぎじんじゃ)は、静岡県静岡市清水区草薙にある神社。式内社で、旧社格は県社。 祭神は次の1柱[1]。 日本武尊 (やまとたけるのみこと) 『古事記』『日本書紀』の伝承によれば、ヤマトタケルの東征の際に賊がヤマトタケルのいる野に火をかけて焼き殺そうとしたが、ヤマトタケルは天叢雲剣で草を薙ぎ払い向い火を放って難を逃れた。 そのため天叢雲剣を「草薙剣」と称するという[2]。 当社の北東方には同じく「クサナギ」を称する式内社として久佐奈岐神社(静岡市清水区山切)が知られるが、両社はともにそのヤマトタケルの火難伝説に関連する神社と伝えられ、一説に火難伝承地は当地に比定される[3][注 1]。 また、「クサナギ」の名を焼畑系地名に由来するとする説もある[3]。その中で、伝説の中でヤマトタケルが向火をつける様も野焼きの延焼防止としてよく知られる手法であることも併せて指摘され、先行する焼畑系地名に基いてヤマトタケルの火難伝説が成立したと推測される[3]。 」 |
| 草薙神社由緒
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式内延喜式
草薙神社由緒 一 御祭神 日本武尊 一 御創建 景行天皇53年 一 例祭日 9月20日 景行天皇第二皇子の日本武尊が、東国の蝦夷が叛いたので天を平定するため、 吾嬬国に行く途中この地で逆賊が起り、尊を殺そうとして原野に火を放った 尊は?用の剣を抜いて、「遠かたや、しけきかもと、もやい鎌の」と鎌で 打ち払う様に唱へ、剣を振り草を薙ぎ払ひ、火を逆賊の方へなびかせ尊は、 無事に難をのがれた地を草薙という。 その後、?用されていた天叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)を草薙の剣と名称を変更になり、 草薙神社に神剣として奉られる。 今より1860余年前である。 |
| ここは海抜3.7m
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| 静岡の海岸
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