|
| 初めに
[TOP]
1987年ごろ静岡県の護国神社に行ったときに写真です。
|
|
<----------------------- 画面の横幅標準(これくらいの幅で見ると見やすい) ----------------------> |
| 静岡県護国神社
[TOP]
|
|
WIKIによれば
「 靜岡縣護國神社(しずおかけんごこくじんじゃ)は、静岡県静岡市葵区に所在する神社である。 神紋は「丸に桜」。明治維新から大東亜戦争(太平洋戦争)における静岡県出身および所縁の戦没者・殉死者7万6千余柱を祀る。 」 |
| 静岡県護国神社
[TOP]
|
|
|
| 市川紀元二 陸軍中尉の銅像
[TOP]
|
|
護国神社関連のブログによると
「 市川紀元二 陸軍中尉の銅像 静岡縣護國神社にご参拝されたらぜひご覧いただきたい銅像があります。市川紀元二 陸軍中尉の銅像です。動感のある素晴らしい銅像です。境内の南側の静岡鉄道線路沿いの「つつじ会館別館」前にあります。(写真は昨年撮影) 市川中尉は明治6年静岡県磐田市生まれ。一高から東京帝国大学工学部電気工学科に進み、明治30年卒業、京浜電鉄の技術部長として勤務されましたが、日露戦争が始めると歩兵少尉として従軍。 明治38年北方戦線の遼陽戦で戦死。 当時の東大総長は市川中尉の戦死の報を聞き「私(し)を顧みず公に殉じた君はもって学徒の亀鑑とすべきである」と、銅像の建設を発起。 当時学内の考えは「大学は学術の府であり、学術・大学に功労のあった人物でなければ記念像は設置しない」というものでしたが、総長の決断で銅像が建立されたのでした。 この市川中尉の銅像は山形出身の彫刻家新海竹太郎の作品。 東大職員の手により大東亜戦争時でも金属供出を免れ、戦後は地下室に隠されて守り続けられたそうですが、昭和32年に市川中尉の出身地の静岡縣護國神社に移されたのでした。 静岡縣護國神社を参拝されても、この銅像前に立ち寄る人が少ないのは、ほんとうに寂しい事です。 (拙著「全国護国神社巡拝ガイドブック〜ご朱印巡りの旅」77頁に紹介) 」 |
| 招魂場入口
[TOP]
|
|
招魂社(招魂場)のWIKIによれば
「 招魂社(しょうこんしゃ、旧字体:招魂社)は、明治維新のために殉難した死者を慰霊する目的で諸藩に設けられた招魂場に由来し、明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した人の霊を祭る各地の神社[1]。 」 |
| 招魂場
[TOP]
|
|
|
| 狛犬
[TOP]
|
|
|
| 静岡県護国神社
[TOP]
|
|
|
| 静岡県護国神社
[TOP]
|
|
|