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| 初めに
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1987年ごろ靖国神社周辺を歩いた時の写真です。
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<----------------------- 画面の横幅標準(これくらいの幅で見ると見やすい) ----------------------> |
| 吉田茂像
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| 自販機
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| 皇紀2600年植樹記念
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北の丸公園内にある。
皇紀2600年のWIKIによれば 「 紀元二千六百年記念行事(きげんにせんろっぴゃくねんきねんぎょうじ)とは、1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事を指す。 1940年(昭和15年)には、年初の橿原神宮の初詣ラジオ中継に始まり、2月11日の紀元節(現在の建国記念の日)には全国11万社もの神社において大祭が行われ、展覧会、体育大会など様々な記念行事が外地を含む全国各地で催された。橿原神宮の整備には全国の修学旅行生を含め121万人が勤労奉仕し、外地の神社である北京神社(中華民国北平)、南洋神社(南洋諸島パラオ)、建国神廟(満洲帝国新京)などもこの年に建立され、神道の海外進出が促進された[10]。 1940年(昭和15年)7月15日、国際社会からの日中戦争批判や、国内での戦費増大・兵士確保の優先といった軍部の意見が強まり、米内光政内閣は閣議で1940年夏季東京オリンピックの開催権を返上し、紀元2600年記念万国博覧会の開催を延期すると正式決定した(1940年札幌冬季オリンピックは1938年7月16日に開催権返上)。 」 |
| 田中支隊忠魂碑
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靖国神社のHPによれば
「 大正8年(1919年)2月25日、田中支隊(歩兵第七十二聯隊) は田中勝輔(たなかかつすけ)少佐指揮のもと、シベリアにおいて戦闘に従事しました。 数十倍もの敵に包囲され、ほぼ全員が戦死しました。この碑は以前、九段下牛ヶ淵(うしがふち)にありましたが、昭和館の建設に伴い、平成8年、現在の場所に移転されました。 」 シベリア出兵に関するWIKIによれば 「 シベリア出兵(シベリアしゅっぺい、英: Siberian Intervention)とは、1918年から1922年までの間に、第一次世界大戦の連合国(イギリス・日本・フランス・イタリア・アメリカ・カナダ・中華民国)が「革命軍よりチェコ軍団の捕虜を救出する」という名目を元にシベリアに共同出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つ[1]。シベリア事変とも言う。 日本は1918年8月11日のウラジオストク上陸以来、増兵を繰り返して協定兵力を大きく超える兵力7万2,000人を派兵[2]。ハバロフスクや東シベリア一帯を占領したが、日本の反ボリシェヴィキ政権樹立工作は酷寒とパルチザンの抵抗にあって不成功に終った[1]。 同年2月25日にはアムール州のユフタにおいて日本軍310人がパルチザンと戦ってほぼ全滅した闘いである。 日本軍「パルチザン討伐部隊」は1919年2月25日に襲撃を再開したが、地形を熟知したパルチザン部隊によって追い詰められ、田中勝輔少佐率いる歩兵第72連隊第三大隊は同月26日「最後の一兵に至るまで全員悉く戦死」したとされる[12]。 」 |
| 子爵品川弥二郎像
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この銅像は九段坂公園にある。
WIKIによれば 「 品川 弥二郎(しながわ やじろう、旧字体:品川 彌二カ、天保14年閏9月29日〈1843年11月20日〉- 明治33年〈1900年〉2月26日)は、日本の官僚・政治家[1]。栄典は正二位勲一等子爵。名は省吾、弥吉。号は扇洲。別称に橋本八郎、松本清熊などがある。 天保14年(1843年)、長州藩の足軽・品川弥市右衛門と池田六左衛門の長女・まつの長男として生まれた。安政5年(1858年)、松下村塾に入門して吉田松陰から教えを受けるが、安政6年(1859年)に安政の大獄で松陰が刑死すると、高杉晋作らと行動を共にして尊王攘夷運動に奔走し、英国公使館焼き討ちなどを実行している。 」 |
| 高燈篭(常燈明台)
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WIKIによれば
「 常燈明台(じょうとうみょうだい)は、東京都千代田区の靖国通り沿いにある塔である。 1871年(明治4年)に招魂社(靖国神社)の灯籠として奉納されたもので、高台に設けられていたため東京湾の漁船の目印になったといわれる。建設当時の東京の人たちにとって、新しく出来た天皇の政府の力を見せつける、新江戸タワーだった。はじめは九段坂をのぼった右側にあったが、道路改修にあたり現在地に移した。小林清親の錦絵の画題にもなり、明治調をのこしている建造物として珍重されている。 靖国神社の正面に常夜灯として明治4年(1871年)に建造された。高さは16.8m、上部は洋風、下部は和風の様式。西洋の文化を取り入れ始めた時代の象徴であり、靖国神社に祭られた霊のために建てられた建造物。 」 現在(2025年)は手すりのようなものが取り付けられている。 |
| 大山巌騎馬像
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九段坂にある銅像である。
大山巌のWIKIによれば 「 大山 巌(おおやま いわお、旧字体:大山 巖、1842年11月12日〈天保13年10月10日〉- 1916年〈大正5年〉12月10日)は、日本の政治家。陸軍大臣(初代・第3代)、陸軍参謀総長(第4・6代)、大警視(第2代)、文部大臣(臨時兼任)、内大臣(第4代)、元老、貴族院議員を歴任した。 称号・階級は元帥陸軍大将。栄典は従一位大勲位功一級公爵。雅号は赫山、瑞岩。字は清海。西郷隆盛・従道兄弟は従兄弟。 銅像 巌の曾孫で歴史ライターの大山格は、公刊伝記『元帥公爵大山巌』や二反長半の『大山元帥』[49]を例示し、銅像は当初三宅坂の陸軍参謀本部の構内にあったとしている[50]。大山格によれば、銅像はその後東條内閣期に金属供出され三宅坂から撤去されたが、戦後になって上野の東京芸術大学構内で横倒しとなって放置されていたところを発見され、昭和39年(1964年)5月17日に現在の地に再建された[50]。 」 |
| 靖国神社 第一鳥居
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靖国神社のHPによれば
「 「鳥居」は、神様のお遣いの鳥が「止まり居る」から名付けられたといいます。 この鳥居は大正10年に日本一の大鳥居として誕生し、「空をつくよな大鳥居」と歌われ親しまれてきました。 昭和18年、老朽化のために取り去られていましたが、戦友・崇敬者により昭和49年再建されました。最新技術の耐候性鋼で作られ、柱の高さは25メートル、直径2.5メートル、上の横木である笠木(かさぎ)は長さ34メートル、直径2.7 メートル、重さは100トンという、日本最高、最大級の大鳥居です。 震度7の地震にも耐え、風速80メートルの風にも揺らぐことはありません。耐用年数が1200年というのも驚きです。 」 東京とりっぷによれば 「 東京都千代田区九段北3丁目、靖國神社の外苑、早稲田通り側に立つのが、國神社・第一鳥居(大鳥居)。大正10年に日本一の大鳥居(高さ21.0m)として誕生した鳥居ですが、昭和18年、老朽化のために撤去。現在の大鳥居は昭和49年再建の鋼製で、高さ25.0m、笠木の長さ34.13m、重さ100tと東京都内最大を誇っています。 」 |
| 靖国神社 第一鳥居
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| 靖国神社 第一鳥居
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| 靖国神社 第一鳥居
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| 戦跡の石
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靖国神社の戦跡の石に関するHPによると
「 激戦の戦跡では、遺骨収集も困難を極めます。 硫黄島、グアム島他各戦地を象徴する石、計51個が集められ、うち半数の25個が展示されています。「慰霊の泉」とともに東京キワニスクラブの奉納です。 」 |
| 靖国神社
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| 平和の鳩
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| ロケット特攻機「桜花」(遊就館)
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靖国神社のHPによると
「 大展示室 【主な展示内容】大型兵器展示・戦跡収集品 中部太平洋西カロリン諸島ヤップ島のジャングルで発見された艦上爆撃機「彗星」や、東部ニューギニアのサラモアにおいて基地防空に活躍した「海軍三年式八糎高角砲」、操縦したまま自らも敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」、戦車第九連隊の戦友が激戦地サイパンより発掘した「九七式中戦車」などの大型兵器や、アジア・太平洋の戦地にて戦後収集された多くの戦跡収集品を展示しています。 」 |
| ロケット特攻機「桜花」(遊就館)
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| 艦上爆撃機「彗星」
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| 艦上爆撃機「彗星」
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| 遊就館展示物
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| 人間魚雷「回天」
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