1989年_大喪の礼
 写真総数:12枚



 

 

 

 
 
初めに  [TOP]
 
 1989年2月24日に裕仁は死亡した。その時に皇居前記帳所にいったときの写真です。
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 永田町駅付近の建物  [TOP]
 
 

 

 
 国会正門前  [TOP]
 
この当時(1989年2月ぐらい)は外壁修理中でした

 

 
 皇居前  [TOP]
 
マラソン禁止の看板 

 

 
 坂下門  [TOP]
 
1989年2月24日に裕仁は死亡した。記帳所に来る人はあまり喪にふくすような服装は少ない感じ。

 

 
 報道中継車  [TOP]
 
 

 

 
 記帳所付近の休憩所  [TOP]
 
 どこの休憩所か不明、坂下門近くの休憩所なので、和田倉休憩所かもしれない

 

 
 額付き写真1000円  [TOP]
 
 

 

 
 平川橋  [TOP]
 
WIKIによれば

 平川橋(ひらかわばし)は皇居北側の内濠に架かり、東京都千代田区一ツ橋一丁目から皇居東御苑に渡る木橋である。平川は神田川下流部の古い名で、日比谷入江に合流していた。流路はのちに東回りに変更され日本橋川や外濠川となった。平川の跡は大手濠などになっている。


 

 
 平川橋付近  [TOP]
 
 

 

 
 平川橋付近2  [TOP]
 
 

 

 
 北白川宮能久親王銅像  [TOP]
 
国民公園協会の皇居外苑のHPによれば

 本日は、北の丸公園の南側、近代美術館工芸館横に佇む、北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)銅像をご紹介します。
 この銅像は1903年1月には、北の丸に駐屯していた近衛歩兵第一・第二連隊正門前に建立されていましたが、1963年北の丸公園整備計画に従って、現在の位置に移されました。
 制作は、渡台時に近衛騎兵として側近に仕えた、斯界の大家新海竹太郎。今にも馬が駆け出しそうな躍動感、生命力に溢れるこの像は、芸術的にも高く評価されています。


 

 
 旧近衛師団司令部庁舎(東京国立近代美術館工芸館)  [TOP]
 
東京国立近代美術館のHPによれば

 旧近衛師団司令部庁舎は陸軍技師・田村鎮(やすし)の設計により、明治43(1910)年3月に建てられました。
 第2次大戦後、荒廃したままに放置されていた旧司令部庁舎は取り壊しの対象となりましたが、明治洋風煉瓦造建築の一典型として、また、官公庁建築の遺構としても重要なことから、その建築的価値を惜しむ声がよせられ、昭和47(1972)年9月に「重要文化財に指定のうえ、東京国立近代美術館分室として活用する」旨の閣議了解がなされ、同年10月、「旧近衛師団司令部庁舎」として重要文化財に指定されました。
 その後、外観と玄関、広間の保存修理工事を施し、谷口吉郎による展示室の設計に基づく内部の改装によって、美術館仕様の建物として改修し、昭和52(1977)年11月15日、東京国立近代美術館分館、東京国立近代美術館工芸館として開館しました。修復にあたって、屋根は建築当初のスレート葺に復元され、正面ホールから2階に伸びる両袖階段に往時の重厚な装いを見ることができます。ゴシック風の赤煉瓦の簡素な外観は、四季折々に周辺の樹木と調和して、独特のたたずまいをみせています。
 工芸館は、平成28(2016)年3月に政府関係機関移転基本方針により、石川県への移転が決定。令和元(2019)年12月20日〜令和2(2020)年3月8日(ただし、コロナ禍により2月28日に終了)に開催した「所蔵作品展 パッション20 今みておきたい工芸の想い」を最後に東京国立近代美術館工芸館としての活動を終え、令和2(2020)年10月25日に、通称「国立工芸館」として石川県金沢市で開館しました。工芸館の移転後、「旧近衛師団司令部庁舎」は、前庭より建物外観を観覧いただく外観公開を行うほか、ユニークベニュー利用やロケ地利用として活用いたします。


 

 
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