1990年_岐阜
 写真総数:4枚



 

 

 

 
 
 初めに  [TOP]
 
 1990年11月18日に岐阜駅から西側に歩いていったときの写真です。
 

 
 1990年11月18日 岐阜駅  [TOP]
 
看板には山一証券(1997年に自主廃業)、岐阜らしい繊維問屋街という看板がある、岐阜繊維問屋街についてのブログは コチラ 。朝7時27分ごろの時刻が表示されている、岐阜に早朝にいるとなれば、大垣急行だったかもしれない。下り (143M) 東京23:30 → 豊橋4:40/4:46 → 名古屋6:22/6:29 → 大垣6:59/7:05(美濃赤坂着7:27)
 

 
 1990年11月18日 岐阜市 葵結納店  [TOP]
 
岐阜市の WIKI によれば「戦国時代には金華山の麓の旧岐阜町が美濃斎藤氏のちに織田信長が治める城下町として発展。 江戸時代には幕府の直轄地のちに尾張藩領となり岐阜奉行所が置かれ、岐阜四十四町からなる商工業の中心地として栄えた。 また南部に位置する旧加納町は、加納藩の城下町と同時に中山道の宿場町でもあり、加納宿は今でもその面影を残している。 戦後は繊維産業で栄えた。」とある。
 

 
 1990年11月18日 岐阜市 長良川の穂積大橋?  [TOP]
 
 
 

 
 1990年11月18日 岐阜市 長良川の穂積大橋?から撮影した東海道本線鉄橋  [TOP]
 
穂積大橋(ほづみおおはし)とは WIKI によれば「穂積大橋(ほづみおおはし)は、岐阜県岐阜市と瑞穂市の長良川にかかる国道21号(岐大バイパス)の橋である。
岐大バイパスは岐阜県道岐阜・穂積・大垣線として計画、推進されたものが、1964年(昭和39年)に県道から国道に移管された。穂積大橋は県道の新長良橋として計画、岐阜県によって発注されたものを、岐阜国道事務所が引継いだ。そのため県道として狭い巾員で計画されたことから先に作られた上流側においては狭い巾員のボックス橋桁を補強して、倍近い巾員の橋巾としている。1965年(昭和40年)に片側1車線で開通。」
 

 
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