1991年_元旦皇居前
 写真総数:19枚



 

 

 

 
 
初めに  [TOP]
 
 1991年ごろ元旦に皇居前広場を歩いたときの写真です。
<----------------------- 画面の横幅標準(これくらいの幅で見ると見やすい) ---------------------->
 

 
 皇居前の道路  [TOP]
 
元旦の交通規制の状態

 

 
 桜田門  [TOP]
 
桜田門のWIKIによれば

 慶長7年(1602年)頃の江戸を描いたとされる『別本慶長江戸図』には「小田原口門」、また慶長13年(1608年)頃の江戸を描いた『慶長江戸図』には「櫻田土橋」と記載されている。
 柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造になっており、桝形を構成している。
 大正12年(1923年)の関東大震災で破損したため、鉄鋼土蔵造りに改修される[1]。
 安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在の憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500メートルほどの所にあった。


 

 
 皇居の石垣  [TOP]
 
石垣の秘密によると、これは「切込みハギ」という石の積み方のようです

 「切込みハギ」はノミやタガネで削り石と石とを密着させ隙間を作らずに積み上げるところが特徴です。
 打ち込みハギに比べて美観にも配慮しているのがわかりますね!


 

 
 皇居の石垣2  [TOP]
 
石垣の秘密によると、「打ち込みハギ」という積み方のようです

 白鳥濠の石垣は「打ち込みハギ」といわれる積み方です。石の大きさをほぼ同じに揃え表面に整形を加えます。接合面を打ち欠いて接点を増やし、すき間には間石(あいいし)といわれる小石を詰めているところが特徴です。


 

 
 指さす先は?  [TOP]
 
 

 

 
 桜田門派出所  [TOP]
 
都市俳諧ブログによると

 桜田門派出所(丸の内警察署 桜田門警備派出所)
 所在地:千代田区皇居外苑 1
 建設年:1934(昭和9)
 構造・階数:木・1
 備考 :1993(平成5)建て替え


 

 
 二重橋  [TOP]
 
WIKIによればこの写真は正式には「正門石橋」であり、奥にある正門鉄橋が「二重橋」であるとのことだ

 二重橋(にじゅうばし)は、東京都千代田区千代田の皇居内にある橋の通称である。正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)である。ただし正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられている[1][2]。
 手前の石橋は、江戸城の西丸大手橋があった位置にあり、明治20年(1887年)の建造である。二連アーチ構造であることから俗称で眼鏡橋とも呼ばれ、「この石橋が二重橋である」と誤認されることが多い。大手橋は写真のような木造の橋で、もとはアーチ橋ではなかった。


 

 
 警視庁丸の内警察署 祝田町見張所  [TOP]
 
 祝田町見張所雑考というブログによると、この見張所は移築されたものらしい、その辺りの経緯はブログを参照してください

 祝田町見張所は皇居外苑の二重橋の手前にある交番見張所建築である。最近の都の財産表上では「丸の内警察署皇居前警備(派)祝田見張所」と記載されている。
 警察によるとこれは昭和36年にここに移築されてきたものということだ。


 

 
 皇居前広場  [TOP]
 
 

 

 
 三菱重工ビル連続爆破  [TOP]
 
WKIによれば

 三菱重工爆破事件(みつびしじゅうこうばくはじけん)は、1974年(昭和49年)8月30日に東京都千代田区丸の内で発生した連続企業爆破事件の一つである。警察庁は三菱重工ビル爆破事件と呼称している[1]。極左テロ集団の東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件であり、東アジア反日武装戦線側の呼称はダイヤモンド作戦。虹作戦で使用する予定であった爆弾を流用した。


 

 
 三菱重工  [TOP]
 
明日の電力を支える原子力発電技術

 

 
 皇太子殿下御成婚記念  [TOP]
 
和田倉噴水公園内にある。
皇居外苑によると

 和田倉噴水公園は、昭和36年に上皇陛下の御結婚を記念して創建された大噴水を、平成5年6月の今上天皇の御結婚を機に、「継続と新たな発展」をテーマに再整備し、平成7年6月に完成したものです。


 

 
 平将門の首塚  [TOP]
 
WIKIによれば

 将門塚(しょうもんづか、まさかどづか)は、東京都千代田区大手町にある、平将門の首を供養するとされる塚(首塚)である。東京都指定の旧跡となっている[1]。かつては盛り土があったことから、古墳であったと考えられている[2]。
 概要
 平将門は平安時代中期、関東で反乱を起こして敗死した(承平天慶の乱)。将門塚がある地はかつて武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれ、住民は長らく将門の怨霊に苦しめられてきたという。


 

 
 旧三の丸尚蔵館  [TOP]
 
 

 

 
 旧三の丸尚蔵館  [TOP]
 
入園者はここから入らないでください PRIVATE

 

 
 旧三の丸尚蔵館  [TOP]
 
 

 

 
 皇居二重橋の飾電燈  [TOP]
 
 

 

 
 旧江戸城本丸天守台  [TOP]
 
 

 

 
 桃華楽堂  [TOP]
 
皇居外苑のブログによれば

 坂を登って東の方角。こちらが「桃華楽堂」です。香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂で、1966年(昭和41年)に完成しました。
 名称は、香淳皇后のお誕生日である3月6日の桃の節句とお印の「桃」にちなんで名づけられたそう。今年の3月には、こちらの楽堂で恒例行事である「音楽大学卒業生演奏会」が開かれ、皇后様や皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻をはじめ、皇族の方々が鑑賞されました。収容人数は200人です。


 

 
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