棚倉街道にあったものだろうか、棚倉街道については
コチラ に「棚倉街道概要: 棚倉街道は水戸城下(茨城県水戸市)と棚倉城下(福島県棚倉町)を結ぶ街道で、主に棚倉藩の参勤交代で利用されています。古代の官道として古くから常陸国内での主要幹線の1つで、戦国時代には常陸の大名だった佐竹氏が南奥羽進出の軍事道として利用されました。 」とある。そしての中に白河宿、棚倉宿、町屋宿、太田宿とあるが、町屋宿「町屋宿は棚倉街道の宿場町で、本陣は平山家が歴任に江戸時代末期には醸造業を務めるなど宿場の有力者として知られていました。現在でも街道沿いには大型な町屋建築が点在し往時の雰囲気を留めています。 」で撮った倉庫かもしれない。
福島県の古い町並み のブログでは
「●城下町らしい風情 江戸時代は棚倉(たなぐら)藩城下町で常陸太田街道沿いの宿場町でもあります。当時,宿場は新町,古町に,さらに文化14年(1817)ごろは,下町,鉄砲町もできてかなり賑わいました。
2,7の日には六斎市が開かれ,10月には馬市が開催。
棚倉古町バス停周辺に,蔵造りや板塀の続く町家が残っています。また「城下町くらしの資料館」なるものがありましたが閉館していたのが,残念です。でも意外にも城下町らしい風情が感じられました。地名の由来は、東北地方で始めて稲作が導入されたころ、種を保管する倉が置かれていたからとか。」