2000年多摩川
2000年頃に撮影

撮影場所(東京都羽村市):写真総数:9枚




 

 

 

 
 羽村市まいまいず井戸  [TOP]
 
羽村市の HP には「まいまいず井戸 (都指定史跡)
昭和27年11月指定
まいまいず井戸(都指定史跡)
JR羽村駅東口近くの五ノ神社境内にあります。まっすぐ縦に掘る井戸掘り技術が発達していなかった頃、水の得られる深さまでスリバチ状に掘り窪めていたようです。そこへの通路が螺旋状にめぐっているために、カタツムリを意味する「まいまい」の名が付けられました。いつの頃からか「まいまいず井戸」と呼ばれるようなりました。
江戸時代に井戸浚いをした時、鎌倉時代から室町時代の板碑が出土したといわれているので、古くから使われていたことがわかります。」とある。
 

 
 羽村市まいまいず井戸2  [TOP]
 
 

 
 中里介山の墓  [TOP]
 
中里介山大菩薩峠 という長編小説で有名な作家である。
 

 
 羽村取水堰  [TOP]
 
東京都の広報 によれば「羽村取水堰は、多摩川の河口から上流約54qに位置し、川をせき止める投渡堰、固定堰、魚類が行き来する魚道及びせき止めた水を取り入れる第1水門から構成されています。
羽村取水堰は玉川上水と同時に建設され、承応2(1653)年に完成しました。玉川上水は、江戸の人口が増えたため幕府が多摩川の水を江戸に引く計画を立て、当初は国立の青柳付近、次いで福生の熊川付近に取水口を設けましたが失敗し、現在の羽村地点となりました。
堰は、明治33(1900)年、大正13(1924)年の増改築を経て現在に至ります。
堰の構造上、通常時は全量取水して小吐水門から毎秒2立方メートルを放流していますが、台風などの洪水時は、投渡堰を取り払うことで河川水位の上昇を抑え、堰の安全性を確保しています。
投渡堰は非常に珍しい型式で、川に直角に鉄のけたを渡し、これに杉丸太をたてかけ、横に差込丸太を設置し、そだ(木の枝を束ねたもの)、砂利等を用いて堰を作ります。台風等の大雨により多摩川の水位が上がり、一定の水位を超えるとけたを外して堰自体を下流に流します。これを投渡木払いといいます。その後、水位が下がると堰を再構築しますが、この作業を仕付けといい、昔からの技術が途切れることなく現在まで伝わっています。
取水した原水は、村山・山口貯水池や小作浄水場へ導水しているほか、玉川上水路を経て、東村山浄水場にも導水しています。」
 

 
 玉川兄弟  [TOP]
 
WIKI によると「玉川兄弟(たまがわきょうだい)は、江戸時代の人物。兄は庄右衛門(しょうえもん、元和8年(1622年)? - 元禄8年6月6日(1695年7月16日))、弟は清右衛門(せいえもん、生年不明 - 元禄9年5月5日(1696年6月4日)?)。多摩川沿いの地域の農家であったとの説が有力である[1]。1653年から54年にかけて玉川上水の開削の指揮をとったことで知られる。 」とある。
 

 
 羽村取水堰2  [TOP]
 
 

 
 羽村取水堰3  [TOP]
 
 

 
 羽村取水堰4  [TOP]
 
 

 
 旧下田家住宅(国指定重要有形民俗文化財)  [TOP]
 
羽村市郷土博物館 に展示されていました。 「旧下田家住宅は入母屋づくりの茅葺(かやぶき)民家で、この地方の一般農家の姿をよく示しています。建築後、四ツ間として改造し使用していましたが、移築にあたり当初の広間型に復原しました。」( ブログ より)
 

 
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