明治4年(1871)、廃藩置県が実施され、姫路城内の三の丸に飾磨(しかま)県庁が置かれ、御殿の建物が庁舎に転用されました。徴兵令が施行されると姫路城跡が営所となり、第十連隊が配備され、城内には兵舎などの軍施設が、大手前の武家地には練兵場が建設されました。明治31年(1898)には姫路に第10師団が設置されることになり、陸軍関係施設が城跡やその近辺に集中し、まさに「軍部」を形成しました。
城郭の老朽化と保存への取り組む
一方、城主のいなくなった城郭は老朽化が急速に進みました。幸いにも姫路城は保存されることになり、陸軍による修理工事も行われましたが、十分な修理費用が工面されていたわけではなく、根本修理はできませんでした。
本格的な修理工事は昭和初期、文部省によって実施された「昭和の大修理」です。この修理工事は第二世界大戦の戦況悪化によって中断し、姫路市街も2度の空襲で焼き尽くされました。しかし、市街の復興と軌を一にするように、昭和25年(1950)に工事再開、昭和39年(1964)に完了しました。
イの渡櫓(明治の修理前)
明治の大修理が行われるまで、姫路城の建物は崩壊寸前の状況だった。
城南練兵場
姫路城大手門前の武家屋敷跡には城南練兵場が設けられ、兵士の軍事訓練が行われた。
偽装網の城
アメリカ軍の空襲に備えて、目立つ大天守には偽装網が施された。
空襲された姫路市街
昭和20年(1945)の空襲で姫路は焼け野原となったが、姫路城は無事だった。
素屋根(すやね)の組み立て
昭和の大修理では大天守を解体するため、大天守を覆う素屋根が築かれた。
大棟の鯱解体
昭和の大修理で、大天守の大棟にのる鯱瓦を解体して降ろしているところ。
柱材の折損
新しい西大柱用の材木が木曾山中から搬出する際に折れてしまった。