この灯篭は、昔 灯篭の浜の堤防の上(現 余子浜(よこはま)消防車車庫近辺)に設置され、遠く一宮 山崎より損保川を下って来る高瀬舟・筏の夜の目印として灯されていました。当時(江戸時代)は電灯もなく夜は真っ暗で、この様な小さな灯りでも結構その役が務まったのでしょう。
余子浜の材木商・薪炭商が共同で設置したもので、或いは高瀬舟の舵頭・筏師からの設置の要望があったのかも知れません。
この灯篭があった故かこの浜を「灯篭の浜」と呼ばれており、我々の子供の頃には己に灯篭は無くなっていましたが「灯篭の浜」の名前はずっと使われており、戦後河川の改修で浜が無くなるまで使われていました。
増水時の堤防の保護の為、多数の捨て石が放り込まれており、格好の洗い場になっており、村人は各自銘々自分の場所を決め、そこで洗い物、洗濯をしていました。当時余子浜は天領(どこの藩にも属さない幕府直轄の地)で禁漁区となっており、洗い場に人が来ると鯉が沢山集まって来たそうで、この状態は明治の中頃まで続いたそうです。
渇水期には沖から潮水が上がってきて、鯉が上流の禁漁区外への逃れ盛に釣られるのを防ぐ為、余子浜の村人が長い竿で水面を敲いて鯉の上るのを防いだと古老から聞いています。
降って大正年間になり筏は昭和11、12年まで下ってきていしたが、高瀬舟は下ってこなくなりました。電灯も広くゆき渡り、夜が総体的に明るくなり、この灯篭の役目は終わりました。
時を同じくして船渡神社の境内の改修があり、これを機に長年の功績を後世に残す為にこの地に奉納設置されました。
因みにこの灯篭の灯ともし役は加藤家がされており、晩年は当主自らともしておられたと古老から聞いております。
この灯篭一つにも余子浜の歴史の一端が偲ばれます。
今年はこの地に奉納設置100年になります。これを記念してこの一文を認めました。
平成25年(2013)11月 平成の古老