2023年_山陽網干駅
 写真総数:41枚



 

 

 

 
 
初めに  [TOP]
 
 2023年10月23日、山陽網干駅周辺を歩いた時の写真です。
 

 
 山陽姫路駅_山陽電車のりば  [TOP]
 

 駅前の木造の空中散歩道?から撮影、山陽電車の WIKI によれば

 通称は「山陽電鉄(さんようでんてつ)」で、略称は「山陽(さんよう)」「山電(さんでん)」。乗車券では「サンヨー」の表記事例もある[広報 1]。鉄道事業は「山陽電車」の名称で展開している[3]。
 1970年代に入ると、沿線の播磨臨海工業地帯においてことに製鉄業の低迷傾向が顕在化した。網干線の建設理由であった新日本製鐵(←富士製鐵←日本製鐵)広畑製鐵所の高炉群の休止とそれに伴う大規模な雇用整理などは通勤客の看過し得ない減少を招き、山陽電気鉄道の経営にも大きな打撃を与えた。
 SY 本線 : 西代 - 山陽姫路 54.7 km
 SY 網干線 : 飾磨 - 山陽網干 8.5 km

 網干線の WIKI によれば

 網干線(あぼしせん)は、飾磨駅から山陽網干駅までを結ぶ山陽電気鉄道の鉄道路線である。全線が兵庫県姫路市内にある。駅ナンバリングで使われる路線記号はSY。
 

 
 姫路駅前  [TOP]
 
 姫路駅前の歩道橋から撮影、右手の黒い格子のような建物が姫路城見学デッキ。
 

 
 須磨行き普通列車(山陽電車)  [TOP]
 
 山陽姫路駅構内で撮影
 

 
 電車の入線(山陽電車)  [TOP]
 
 
 

 
 山電網干駅前の看板  [TOP]
 
 この後、網干駅から海の方向に向かって歩く。この地図の「興浜」付近まで歩いて戻ってきた。
 

 
 県道250号線と222号線の交差点  [TOP]
 
 
 

 
 「野草広場」遊べる原っぱづくり_看板  [TOP]
 
 
 

 
 「野草広場」遊べる原っぱづくり_看板_台形補正済  [TOP]
 

 損保(いぼ)川の河川敷にあった

―四季おりおりの草花がさくー
 ちょうやバッタと遊べる「野草広場」をめざして、チガヤという植物の植栽試験を行っています。

 揖保川の WIKI によれば

 揖保川(いぼがわ)は、兵庫県の南西部を流れる一級水系の本流である。加古川・市川・夢前川・千種川と並び播磨五川と呼ばれている。流域面積は播磨五川のうち加古川に次ぐ広さ。
 2003年度に実施された環境省の河川・湖沼・海域の水質測定の結果によると、1993年度測定から水質改善度が全国の河川の中で最も大きかったのは揖保川下流である
 

 
 網干大橋  [TOP]
 
 損保川に架かっている
 

 
 損保川の水門  [TOP]
 
 
 

 
 船渡八幡神社の巨大な火の見やぐら  [TOP]
 
 木に囲まれて周辺を見渡すのは難しそう・・・、YOUTUBEにこの火の見やぐらの 動画 があった。
 

 
 あぼしまち交流館  [TOP]
 
 さすがに姫路周辺の白壁は本当にいい白だ。説明 ブログ によれば

 あぼしまち交流館は、地域の皆様の交流活動や文化的活動にご利用いただける施設です。
各種展示会、会議、研修、講習、講義など、産業活動の拠点として、また一般の方もご利用いただけますので、グループやサークルの集いの場、茶道・華道のお稽古など文化教養・地域のコミュニケーションセンターとして広くご活用ください。
 皆様のご利用を心からお待ち申し上げております。
 

 
 導水管(余子浜公園)  [TOP]
 
 初見では、この物体の意味がわからなかった、この急傾斜の階段を渡っていききするひとが月に何人いるのだろうか?ナニコレ珍百景のテーマ曲がちょっと脳内ででてきた瞬間ではあった
 

 
 導水管2  [TOP]
 
 緑の衝立の脇から大きな管がみえ、これが水道もしくは農業用水?の管であることがわかる、この付近に水門があるので、水門からの水がここを通っているのかもしれない。
 

 
 ボートのたまりば  [TOP]
 
 このボートのたまり場があるがため、付近の導水管を持ち上げるような形にしなければ行けなかったのかもしれない
 

 
 あぼしまち交流館2  [TOP]
 
 
 

 
 網干町歌(作詞:北原白秋)  [TOP]
 

 WIKI によれば

 作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰
兵庫県揖保郡網干町が1928年に制定した町歌。1946年に町が姫路市へ編入合併されたことに伴い廃止。

歌詞

一、
愛せよ網干を 我等が網干を
育てり我等は 海を前に
美し家島よ 沖の雲よ
誇れよ播磨の この町この空

二、
愛せよ網干を 我等が網干を
承けたり我等は 父祖の土地を
美し家島よ 沖の雲よ
誇れよ住みつぐ この町この空

三、
愛せよ網干を 我等が網干を
光れり昔も 国士出でて
美し家島よ 沖の雲よ
誇れよ栄ある この町この空

四、
愛せよ網干を 我等が網干を
勢へりこの土 煙高く
美し家島よ 沖の雲よ
誇れよ新の この町この空

五、
愛せよ網干を 我等が網干を
和したり我等は 海を前に
美し家島よ 沖の雲よ
誇れよ輝く この町この空
 

 
 近世_湊まち_宝の賑わい  [TOP]
 

 令和5年度 室津海駅館特別展
 2023/10/7〜11/26
 記念講演会
 日時:10/22 14:00〜15:30
 講師:宇那木隆司氏(姫路市教育委員会文化財団担当)
 講題:播磨国主池田家と湊
 展示説明
 日時:10/29 14:00〜15:00
 講師:柏山泰訓氏(室津海駅館・室津民俗館専門委員会委員長)

 網干の町の歴史の 詳細 を以下に示す

 地形としては、かっては海岸線がもっと内側にあって、揖保川が海岸近くで枝分かれし中洲ができ、網干デルタといわれるところに町が発展したのである。また余子浜、金毘羅神社、坂出、新在家 などどこかできいたような地名があることに気づきました。そして私が最も驚いたのは、丸亀藩陣屋跡があることでした。香川県出身の私が、ここで丸亀藩にであうなんて・・・。
 1658年、龍野藩主であった京極家が丸亀に移封されたとき、一万石足らないのでこの地の興浜、浜田などが京極家の領地として丸亀藩に属したということです。江戸時代には丸亀・龍野・天領に分かれた複雑な構成であったようです。
 駅前を出発して、路地を進み加藤家へ。加藤家は江戸時代に蔵元で廻船を、いとなんでいた。家の前にけっ秀碑と呼ばれるものがあり、その題字は勝海舟の書である。
 揖保川を分かれた網干川を少しはいったところに船泊があり、今も数隻の船が出入りしているのが見えました。船で運ばれたが物品がここで降ろされ加藤家に積まれたということのようです。加藤家のすぐ隣に船渡八幡神社があり、江戸時代の御神灯や玉垣、力石がある。八幡神社から網干商工会館の前を通り、西へ行くと、揖保川の流れが眼前にひらました。右方に網干大橋が見えました。
 揖保川沿いを南西に行くとき、北原白秋が作詞した町歌の碑がありました。白壁の家が数軒、通りに面して並び、江戸時代にタイムスリップしたかにおもわれました。丸亀藩の陣屋門跡にて、ボランティアガイドの説明を聴きました。江戸時代、京極家がここに一万石の陣屋をおき、奉行を派遣して政務をおこなっていた。
 

 
 船渡八幡神社のケヤキ?  [TOP]
 
 この中に大きな火の見やぐらが隠れている
 

 
 殉国士の碑  [TOP]
 
 日露戦争の戦没者か?
 

 
 殉国士の碑(裏側)
 
[TOP]
 
 
 

 
 石碑  [TOP]
 
 
 

 
 奉納相撲の土俵  [TOP]
 
 
 

 
 ふるさとの巨樹(けやき?)  [TOP]
 
 木の下のところに百度石がある
 

 
 船渡八幡神社本堂  [TOP]
 
 
 

 
 灯籠  [TOP]
 
 
 

 
 灯篭の由来  [TOP]
 

 この灯篭は、昔 灯篭の浜の堤防の上(現 余子浜(よこはま)消防車車庫近辺)に設置され、遠く一宮 山崎より損保川を下って来る高瀬舟・筏の夜の目印として灯されていました。当時(江戸時代)は電灯もなく夜は真っ暗で、この様な小さな灯りでも結構その役が務まったのでしょう。
 余子浜の材木商・薪炭商が共同で設置したもので、或いは高瀬舟の舵頭・筏師からの設置の要望があったのかも知れません。
 この灯篭があった故かこの浜を「灯篭の浜」と呼ばれており、我々の子供の頃には己に灯篭は無くなっていましたが「灯篭の浜」の名前はずっと使われており、戦後河川の改修で浜が無くなるまで使われていました。
 増水時の堤防の保護の為、多数の捨て石が放り込まれており、格好の洗い場になっており、村人は各自銘々自分の場所を決め、そこで洗い物、洗濯をしていました。当時余子浜は天領(どこの藩にも属さない幕府直轄の地)で禁漁区となっており、洗い場に人が来ると鯉が沢山集まって来たそうで、この状態は明治の中頃まで続いたそうです。
 渇水期には沖から潮水が上がってきて、鯉が上流の禁漁区外への逃れ盛に釣られるのを防ぐ為、余子浜の村人が長い竿で水面を敲いて鯉の上るのを防いだと古老から聞いています。
 降って大正年間になり筏は昭和11、12年まで下ってきていしたが、高瀬舟は下ってこなくなりました。電灯も広くゆき渡り、夜が総体的に明るくなり、この灯篭の役目は終わりました。
 時を同じくして船渡神社の境内の改修があり、これを機に長年の功績を後世に残す為にこの地に奉納設置されました。
 因みにこの灯篭の灯ともし役は加藤家がされており、晩年は当主自らともしておられたと古老から聞いております。
 この灯篭一つにも余子浜の歴史の一端が偲ばれます。
 今年はこの地に奉納設置100年になります。これを記念してこの一文を認めました。
 平成25年(2013)11月   平成の古老
 

 
 船渡八幡神社と堀川溝渠  [TOP]
 

御祭神/猿田彦明神(道祖神)
    神功皇后(応神天皇の御皇母)
    応神天皇(神皇15代御践祚)
    玉依姫命(たまよりひめのみこと)(神武天皇御皇母 海神)
 網干町史に依れば、元は船戸(ふなと)八幡と書き、別名を若宮と言う。字地名を船渡と云い、既に宝暦年間(1751〜1762)の地史に船渡八幡の名が見える。船渡は神功皇后の故事により神楽岡、神楽江の伝説を云うが定かではない。
 中世、古川家文書には「余子浜」は「横浜」と書き損保川より幅約10m、東西約120mの堀川があり、東端には約750m2(220坪)ぐらいの船渡溝渠があった。明治12年埋め立て願書を飾磨県に出し、同14年に完工した。
 若宮境内の南半分は大正2年に溝渠残部を埋め立て拡張し現在に至っている。

 姫路市教育委員会、姫路西ライオンズ倶楽部、網干地方史談会
 

 
 石碑  [TOP]
 
 字がかすれて、判読が難しいが、 関連ブログ によれば

 船渡八幡神社のすぐ北の道沿いに、網干の初代町長である加藤邦太郎氏の功績を讃える石碑が建っている。この石碑の題字は、勝海舟の直筆によるもので、「誠塾」の河野東馬と赤松則良の頼みによって届けられたものと言われている。
 

 
 石碑2(全体)  [TOP]
 
 
 

 
 神輿の保管施設か?  [TOP]
 
 
 

 
 工場の煙  [TOP]
 
 
 

 
 白壁(ちょっと薄汚れた)  [TOP]
 
 
 

 
 見えない面には漆喰なしか  [TOP]
 
 
 

 
 家の角の意匠  [TOP]
 
 
 

 
 法専寺の山門の鐘楼  [TOP]
 
 鐘をくつ棒が飛び出ている
 

 
 法専寺の屋根の飾り  [TOP]
 
 ハスの花?真ん中はハスの実のぶつぶつのようにも見えるが・・・。材質は何だろうか、細工のことを考えれば木だとおもうが。
 

 
 法専寺の鐘撞堂  [TOP]
 
 
 

 
 運河ぽい川  [TOP]
 
 
 

 
 山陽網干駅  [TOP]
 
 WIKI によれば

 歴史
 赤穂市史によると、終戦直後に当駅から赤穂まで(最終的には岡山まで)路線を延伸する計画が持ち上がったが、当時国鉄赤穂線(現・JR西日本赤穂線)の計画が先にあったため、地元の協力が得られず計画は中止された。
 

 
 山陽網干駅2  [TOP]
 
 
 

 
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