2023年_倉敷
 写真総数:22枚



 

 

 

 
 
初めに  [TOP]
 
 2023年10月24日、JR西日本倉敷駅周辺を歩いた時の写真です。
 

 
 2023/10/24 倉敷駅前  [TOP]
 
 早朝に姫路駅を出発して倉敷駅に到着
 

 
 倉敷駅前の花時計  [TOP]
 
 
 

 
 倉敷駅  [TOP]
 

 倉敷駅の WIKI によれば

 倉敷駅(くらしきえき)は、岡山県倉敷市阿知一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅。
 当駅の所属線[3] である山陽本線と、伯備線が乗り入れ、接続駅となっている。
 山陽新幹線の西進に当たって、当駅に新幹線駅を併設する案もあったが、建設にかかるコストや用地取得の手間などを勘案して、玉島駅(当時)を新幹線駅として、1975年(昭和50年)、同新幹線の岡山駅 - 博多駅の開通と同時に新倉敷駅と改称して併設開業している。
 1891年(明治24年)
 4月25日:山陽鉄道の駅として開業、旅客・貨物の取扱を開始[1]。駅舎は木造平屋建てであった。開業当初は岡山駅から延伸し、暫定的な終点であった。

 

 
 倉敷駅2  [TOP]
 
 
 

 
 大原美術館の中庭?  [TOP]
 
 
 

 
 書状集箱  [TOP]
 
 このポスト(書状集箱)は明治4年(西暦1871年)郵便事業創業していたものと同じ型のものです。
 この周辺が伝統的建造物群保存地区であるためその景観に合わせて設置したものです。またこのポストは他のポストと同様に取り集めを行いますのでご利用ください。
 昭和60年4月20日 倉敷郵便局長
 

 
 倉敷美観地区  [TOP]
 

 倉敷美観地区とは WIKI によれば

 江戸時代初期の寛永19年(1642年)、江戸幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ。倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並みをよく残している。1969年に倉敷市の条例に基づき美観地区に定められ、1979年(昭和54年)に県内2件目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
 また、1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋美術館大原美術館や1888年(明治21年)に代官所跡地に建てられた旧倉敷紡績工場の建物を改修・再利用した観光施設倉敷アイビースクエア等も当地区を代表する建築物である。
 1930年(昭和5年) - 大原美術館開館。
 1937年(昭和12年) - 後のクラボウ社長・大原總一郎がドイツの城郭都市・ローテンブルクを訪れ、倉敷の町並み保存を思いついたと云われている。
 1947年(昭和22年) - 昭和天皇が日本全国巡幸、倉敷を訪れる。
 

 
 水門  [TOP]
 
 ここで運河の水量を調整している
 

 
 倉敷美観地区2  [TOP]
 
 運河には柳
 

 
 倉敷美観地区3  [TOP]
 
 うだつが大きい
 

 
 倉敷館(倉敷観光案内所)  [TOP]
 
WIKI によれば

 1917(大正6)年に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築。現在は観光案内所として観光ガイドや観光施設などの紹介を行うほか、無料休憩所として自動販売機やコインロッカー、トイレを備えています。観光の起点や情報収集に便利なスポットです。
 

 
 なまこ壁?  [TOP]
 
 なまこ壁とは WIKI によれば

 生子壁[1][2][3]/海鼠壁[1][2]/なまこ壁(なまこかべ)とは、土蔵などに用いられる、日本伝統の壁塗りの様式の一つで、その壁をも指す[4][5]。生子/海鼠/なまこともいう。壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に漆喰を蒲鉾形に盛り付けて塗る工法[6]によるもので、目地の盛り上がった形がナマコ(海鼠)に似ていることからその名がある[7]。
 

 
 倉敷美観地区4  [TOP]
 
 
 

 
 今橋  [TOP]
 

 倉敷美観地区にある。 WIKI によれば

 江戸時代後期の宝永7年(1710年)の『屋敷割絵図』では、「今橋」として木の橋が描かれているが、文久3年(1863年)の『倉敷村本田小割絵図』では石橋になっている[1]。弘化年間に板屋和栗仁左衛門が石造りに改めたと伝わる[2]。
 大正15年(1926年)、皇太子裕仁親王の来町に際して大原孫三郎の資金援助の下、装飾の豊かな橋に架け替えられた[1]。橋の外観は花崗岩で、一見石橋に見えるが内部は鉄筋コンクリート構造になっている[1]。親柱の上部には皇室を象徴する菊紋の彫刻が施され、橋銘は大原が揮毫した[1]。欄干の模様は児島虎次郎の原画を児島矩一が彫った[2]。欄干は20面に区切られ、各々の面に内側は線彫りで、外側は浮彫で龍の図が彫られている[3]
 

 
 大原美術館  [TOP]
 

 50年弱前に修学旅行で訪れた大原美術館への再訪、その時の記憶のよみがえりはほとんどなかったが、ちょっとしたノスタルジーに浸った時間でした。
 大原美術館の WIKI によれば

 大原美術館(おおはらびじゅつかん)は、岡山県倉敷市にある美術館で、公益財団法人大原美術館が運営する、日本初の私立西洋美術館である。倉敷美観地区の一角をなす。
 2003年には分館が、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれている。
 大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年〜1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年〜1929年)に託して収集した西洋美術、古代エジプト美術・中近東美術、中国美術などの作品を展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。
 

 
 運河に浮かぶ水鳥  [TOP]
 

 倉敷の運河については以下の ブログ にくわしい
 それによると以前は川幅20メートル程あったというのは驚きだ。

 倉敷川周辺の地域は江戸時代に港町として栄え、この地域に物資を運んでくる運河として利用されていました。 現在の倉敷川の川幅は10メートル程ですが、船による物資の輸送がされていた頃には川幅20メートル程あったとされています。最も栄えていた時期には、約40隻の船が物資の運搬を行っていたとされています。
 その後、周辺の開拓が進み、船による運搬も制限されるようになり1959年(昭和34年)に児島湾締切堤防が作られてから倉敷川は運河として利用されなくなり、機能を失います。
 1968年(昭和43年)に観光ブームがきっかけとなり、倉敷川の整備が行われました。
 1979年(昭和54年)には、倉敷川畔が重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
 現在も江戸時代からの風情を残し、橋や船着場などは様々な形で残されています。
 また、この地域が倉敷と呼ばれるようになったのは、江戸時代の初期頃に倉敷川をはさんで建てられた物資貯蔵用の土蔵のことを蔵屋敷、倉鋪、蔵鋪、倉子城などの名称で呼ばれており、これが変化して倉敷になったといわれています。
 

 
 水島臨海鉄道  [TOP]
 

 水島臨海鉄道とは WIKI によれば

 水島臨海鉄道株式会社(みずしまりんかいてつどう)は、岡山県倉敷市で鉄道路線を運営している鉄道事業者。略称はMR、通称および愛称「水臨」「水鉄」「臨鉄」「臨海」「水島臨海」「水島臨鉄」「倉敷臨海」「倉敷臨鉄」「ピーポー列車」「ピーポー」[5]など。

 日本貨物鉄道(JR貨物)・倉敷市などが出資する第三セクター方式の臨海鉄道である。第三セクターではあるが日本民営鉄道協会に加盟している。中国運輸局管内の民鉄(JR除く)では唯一、貨物鉄道事業を行っており、その他旅客鉄道事業なども行っている。旅客収入は約2.9億円、貨物収入は約3.7億円と、客貨の比率は概ね半々である(数字はいずれも2015年度の統計)[6]。

 現有路線
 水島本線: 倉敷市駅 - 三菱自工前駅 - 倉敷貨物ターミナル駅 11.2km
 港東線: 水島駅 - 東水島駅 3.6km(貨物線)
 

 
 水島臨海鉄道スナップショット  [TOP]
 
 
 

 
 水島臨海鉄道スナップショット2  [TOP]
 
 
 

 
 水島臨海鉄道スナップショット3  [TOP]
 
 
 

 
 水島臨海鉄道_開業80周年  [TOP]
 

 水島臨海鉄道
 倉敷〜水鳥_専用鉄道
 開業80周年
 ピーポー沿線
 =特 集=
 水島臨海鉄道の倉敷〜水鳥間は1943(昭和18)年に、旧三菱重工業水鳥航空製作所(三菱自動車工業水鳥製作所)の専用鉄道として開業されて以来、今月で開業80周年を迎えました。
 開業当時の同鉄道は蒸気機関車が貨車と客車を牽引していました。「ピーポー」という愛称はこの蒸気機関車の汽笛の音が由来となっており、今なお地域の人々に受け継がれ親しまれています。線路を走るレトロ車両が沿線の街並みに溶け込む景観はふるさとの原風景で、長きにわたり地域住民の生活を支えてくれています。
 (企画・制作/山陽新聞社広告本部)

 専用鉄道80周年にあたってのご挨拶 水島臨海鉄道株式会社 代表取締役社長 伊東香織

 当社の倉敷〜水鳥間は専用鉄道として開業以来、本年をもって80周年を迎えました。これもひとえに、当鉄道を愛し、ご利用いただいております地域のお客様をはじめ、全国から応援してくださる多くのファンの皆様のご支援によるものと心から感謝申し上げます。
 当鉄道は地域のお客様の通勤・通学の手段としての旅客輸送、また、水鳥臨海工業地帯と全国各地を結ぶ貨物輸送としての重要な役割を担い、地域とともに歩んでまいりました。
 これからも地域とともに発展し、皆様に親しまれ、愛される地方鉄道を目指して、安全で安心な輸送に努めてまいりますので、引き続き変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

 沿 革
 1943年7月 旧三菱重工業水鳥航空機製作所の専用鉄道として開業
 1947年4月 水鳥工業都市開発株式会社へ移管され、翌年地方鉄道として水鳥鉄道が発足
 1952年4月 倉敷市へ譲渡され、倉敷市営鉄道として市交通局が運営を開始
 1970年4月 水島臨海鉄道株式会社へ譲渡され、営業を開始
 

 
 水島臨海鉄道_倉敷市駅  [TOP]
 

WIKI によれば

 倉敷市駅(くらしきしえき)は、岡山県倉敷市阿知一丁目にある、水島臨海鉄道水島本線の駅である。駅番号はMR0。
 歴史
 1943年(昭和18年)7月:三菱重工業水島航空機製作所(現在の三菱自動車水島製作所)専用鉄道の倉敷駅として開業[1]。
 1948年(昭和23年)8月20日:社倉敷駅として開業し、旅客輸送を開始。
 1952年(昭和27年)4月1日:倉敷市が水島工業都市開発から施設譲受し、倉敷市交通局の駅となる。
 1970年(昭和45年)
 4月1日:水島臨海鉄道が倉敷市交通局から施設譲受し、水島臨海鉄道の駅となる。
  このころに倉敷市駅に改称されたと言われている。
 1981年(昭和56年)4月7日:現在の場所に移転(以前の駅は現在倉敷駅西自転車駐車場がある場所の西側にあった)。

 このあとJR西日本倉敷駅から列車にのりJR西日本三原駅へ向かう。
 

 
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