2023年_三原2
 写真総数:40枚



 

 

 

 
 
初めに  [TOP]
 
 2023年10月26日、三原城周辺と山陽本線の沿線の写真です。
 

 
 聖トマス小崎少年  [TOP]
 

 「私のこともミゲル父上のこともご心配くださいますな。天国の全き幸福を失わぬよう努力なさいますよう、人からいかなることを受けようと耐え、すべての人に、大いなる慈悲をかけられますよう。
 陰暦十二の月二日 安芸の国、三原城にて」

 1597年、豊臣秀吉のキリシタン弾圧において長崎西坂の丘で処刑された殉教者26人の中に、14才のトマス小崎がいた。京都から長崎へ護送される途中三原にて伊勢の母マルタに書いた別れの手紙の一部である。処刑後父ミゲルの襟元から発見され、その訳はローマに保管され日本26聖人の一人として、世界の人々にあがめられている。
 このけなげな少年の心を末永く伝えるために、城址に近いこの地に碑を建立した

     1993年1月17日
     三原カトリック教会
 

 
 聖トマス小崎少年(全体)  [TOP]
 
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 史蹟小早川氏城址(三原城跡)船入櫓跡石垣  [TOP]
 

 三原城は大島小島を利用して築かれたと伝わり、船入櫓跡石垣の南東隅の下は岩(岩礁)を基盤にして石垣を積み上げ、築かれています。また、現在は失わていますが、石垣上の南西隅には、二重櫓が建てられていました。
 舟入櫓跡の石垣は、石垣の隅を長短の石で交互に積んだ「算木積み」であることや、「矢穴」と呼ばれる石を割った痕跡や表面に記号を掘った「刻印」が見られることから、福島氏の統治時代(1600〜1619年)に築城されたと考えられています。
 

 
 三原城船入櫓跡石垣と岩礁  [TOP]
 
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 三原城船入櫓跡石垣と岩礁(拡大)  [TOP]
 
 石垣の南東部は小島の岩礁を利用して築かれました。
 

 
 三原城跡_船入(内堀)  [TOP]
 
 城内に直接入港できる公船や許可を受けた船の停泊地東岸(郵便局)側に着岸できる雁木(巾広の階段)があった。
 

 
 三原城跡_船入の濠の花  [TOP]
 
 
 

 
 三原城船入櫓跡入口  [TOP]
 
本丸五番櫓
 

 
 三原城船入櫓_門  [TOP]
 
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 史蹟小早川氏城跡(三原城跡)船入櫓跡  [TOP]
 

 指定:昭和(1957)年12月11日 住所:三原市館町・本町・城町
 『小早川家文書』によると、三原城は、瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景(たかかげ)が永禄10(1567)年沼田川(ぬたがわ)河口に浮かぶ大島・小島をつないで築かれたと伝えられています。城は海に向かって船入を開き、満潮時には海に浮かんだように見えることから『浮城(うきしろ)』とも呼ばれました。小早川氏の後は福島・浅野氏の支城となり、明治維新後には城の建物・樹木が競売に付されました。その後鉄道が本丸を貫き、明治27(1894)年には三原駅が開業しました。今では市街地化がすすみ、天守台とその濠、船入櫓跡、船入跡、中門跡などが残るのみです。
 

 
 紙本着色備後国三原城絵図(江戸時代末期:個人蔵)に描かれた三原城跡  [TOP]
 
 
 

 
 現在の地図と城の縄張り図の重ね図  [TOP]
 
 
 

 
 三原城船入櫓_濠  [TOP]
 
 
 

 
 絹本著色登覧画図  [TOP]
 
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 絹本著色登覧画図_説明  [TOP]
 

 このレリーフは、享和2年(1802)に旧広島藩士で画家として著名な岡岷山(おかみんざん)が画いた「絹本(けんぽん)著色登覧画図」の一部分の複製である。
 原画は、左に妙正寺全景を近景にいれ、東町の町並み、三原城、佐木島をはじめ、瀬戸内海の島々を遠望したものである。
 三原浅野家の菩提寺である妙正寺の所蔵で、三原市重要文化財に指定される。
 (昭和38年12月17日)
 

 
 三原駅周辺観光案内図  [TOP]
 
 
 

 
 城下町みはら散策マップ  [TOP]
 
 
 

 
 三原城天主台跡_入口  [TOP]
 
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 何故天守台ではなく天主台なのか?
 天守の WIKI によれば

 「てんしゅ」の漢字表記は「殿主」「殿守」「天主」なども当てられる。

 特にどちらでもいいようだが、三原城の場合は天主が使われている
 

 
 きてみて三原  [TOP]
 
 

 
 国史跡_三原城  [TOP]
 

 「浮城」と呼ばれた名城
 三原城は1567年、戦国の智将と呼ばれた小早川隆景公が築きました。隆景公は戦国武将毛利元就公の三男で、兄弟の強い結束を訴えかけた「三本の矢」の逸話でも知られている武将です。
 三原沖の大小の島をつなぎ築いた城で、東は湧原川から西は現在の臥龍橋付近まで約900m、南北に約700m、この中に本丸、二之丸、三之丸など、そして櫓32、城門14がありました。
 当時はこの城の姿が、満潮の際に海に浮かんでいるように見えたことから「浮城」と呼ばれました。
 豊臣秀吉や徳川家康もこの城を訪れ、素晴らしさに感動したと言われています。
 現在は濠と天主台石垣・船入櫓跡・本丸中門跡等が残っています。
 天主台西側の石垣(北と南の隅)は、古い様相を示しており隆景公が築城したものと思われます。
 ”見ても見事な三原の城は地から湧いたか浮城か”と唄われた三原城の天主台上は現在公園となっており、三原駅構内から入ることが出来ます。
 この高台から三原市街を見下ろせば、往時の街並みや賑わいに思いを馳せる事ができるかもしれません。
 
 ◎お問い合わせ
 (一社)三原観光協会
 (0848)67-5877
 

 
 国史跡小早川氏城跡三原城跡_看板  [TOP]
 

 三原城は、戦国の武将・毛利元就の三男で沼田(ぬた)小早川家を継いだ小早川隆景が、永禄10年(1567)沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島・小島をつないで築いた城である。
 城は、慶長元年(1596)頃威容を整え、海に向かって船入りを開き、城郭兼軍港としての機能をそなえた名城で、満潮時には海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれた。
 明治時代に鉄道が本丸を貫き、今では市街化がすすみ、天主台とそれをめぐる濠、船入跡、船入櫓跡及び本丸中門跡を残すのみである。

 昭和32年12月11日指定
 

 
 備後国三原城絵図  [TOP]
 
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 備後国三原城絵図(拡大図)  [TOP]
 
 
 

 
 本丸への階段  [TOP]
 
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 史跡_小早川氏城跡  [TOP]
 

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 三原城跡
 所在 三原市館町・本町・城町
 昭和32年12月11日指定
 小早川隆景は、兄の吉川元春とともに、おいの毛利輝元を助けて中国統一を完成させて瀬戸内海の水軍を掌握していた。
 隆景は、天正年間毛利氏の広島築城と相前後して、沼田川河口の三原の小島をつないで城郭を築き、ここに移った。三原城は海に向かって船入りを開き、城郭兼軍港としての機能をそなえた名城で、満潮時にはあたかも海に浮かんだようにみえたので、「浮城」とよばれていた。
 小早川氏の移封後、福島氏・浅野氏の支城となっていたが、JR山陽本線および新幹線が本丸を貫き、今は天主台跡とそれをめぐる濠および船入櫓跡・中門跡などが残るのみである。
 三原市教育委員会
 

 
 天主台跡からの新幹線  [TOP]
 
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 天主台跡からの新幹線2  [TOP]
 
 
 

 
 天主台からの展望  [TOP]
 
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 天主台からの展望2  [TOP]
 

 赤い鳥居が連なっている、大島神社の連立鳥居
 近くまで行ったときのストリートビューは コチラ

 大島神社紹介 ブログ によると

 三原城は、大島、小島をつないで作りましたが、その大島(天主台の位置)にすでにあった大島稲荷をお城の鎮守としました。また、小早川隆景が九州の陣中にいたとき、毎日祈願していた厳島神社を城中広間の庭にまつっていたが、これを福島時代にこの両社を併せてこの地に移しました。そして、境内西隅には、お城の小島にあったものを同じようにここへ移された小島稲荷や隆景の崇拝していた久井稲荷も、ここにまつってあります。
 

 
 天主台の濠  [TOP]
 
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 石垣  [TOP]
 
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 三原駅の新幹線ホーム  [TOP]
 
 
 

 
 天遊園石碑  [TOP]
 

 天游園についての詳細に調べた人がいました。その方の ブログ によると

 「J付近で記念撮影しました。右側にある天遊園という石碑は、説明が無くて、ネットで調べてもわからないので、三原市教育委員会に問い合わせると、明治維新後に城地が民間に売却されて、払い下げてもらった方が、ここで料亭を経営したそうで、その料亭の庭の名前が「天遊園」だったそうです。
 

 
 やっさ祭り_ジオラマ_看板  [TOP]
 

「やっさ踊りの特徴」
 足の踊りといわれ、動きのある踊りであるが、きまった踊りの型はなく、はやしのイズムにあわせ、各人各様におもしろく、気やすく踊れるところにあり、三味線・鉦(かね)・太鼓・笛・四つ竹など賑やかなはやしと歌声にあわせ、各人思い思いの所作で自由奔放に踊る様は、みている者もそのおもしろさに我を忘れて踊りたくなるものです。
 やっさ祭りの WIKI によれば

 三原やっさ祭り(みはらやっさまつり)は、広島県三原市で毎年8月第2日曜日を含む金曜日・土曜日・日曜日の3日間にわたって、JR三原駅前を中心に行われる祭。
 概要
 1567年(永禄10年)、戦国武将の小早川隆景が三原城を築いたことを祝い、城下の人たちが踊ったのが始まりと伝えられている。祭りは毎年8月の第2日曜日を含む金曜日・土曜日・日曜日の3日間にわたって行われ、地元の踊り手たちが「やっさやっさ」と声をかけながら三味線、笛、太鼓の響きに合わせて踊りを披露し、JR三原駅前を練り歩く[1]。
 第1回の開催は1976年(昭和51年)。運営母体は三原やっさ祭り振興協議会、運営主体はやっさ祭り実行委員会である。1976年以前は「花火大会」を商工会議所が、「やっさ踊り」を観光協会が、「夏祭り子どもやっさ」を商栄会がそれぞれ開催していた。
 

 
 やっさ祭り_ジオラマ  [TOP]
 
 
 

 
 山陽本線_三原駅TO岩国_12:59_  [TOP]
 
 
 

 
 山陽新幹線  [TOP]
 
 
 

 
 山陽本線_三角山_鳥居  [TOP]
 
 
 

 
 山陽本線_巨大な太陽光発電  [TOP]
 
 
 

 
 山陽本線_瀬野駅_スカイレール  [TOP]
 

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 スカイレールの WIKI によれば

 広島短距離交通瀬野線(ひろしまたんきょりこうつうせのせん)は、広島県広島市安芸区のみどり口駅からみどり中央駅までを結ぶ、スカイレールサービスの軌道路線である。
 同区瀬野町の住宅団地「スカイレールタウンみどり坂」への交通手段として1998年(平成10年)に開通した路線で、「スカイレール」と呼ばれる新交通システムを採用している。スカイレールみどり坂線の愛称があるほか、一般的にスカイレールサービス、スカイレールと呼ばれる。
 スカイレールとは、神戸製鋼所・三菱重工業などが共同開発した懸垂式モノレールとロープウェイを組み合わせたような交通システムで、懸垂式のモノレール車両を、駅間ではワイヤロープで、駅構内ではリニアモーターで駆動して運転する[1]。平均速度は約15km/hである[2]。建設費も従来のモノレールや新交通システムと比べて1/3程度と安く、運営も低コスト、工期も短いという長所を持つ[2]。

 乗車した人のブログは コチラ 、時刻表にものっていないらしい。
 

 
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