2023_三原城
 写真総数:29枚



 

 

 

 
 
初めに  [TOP]
 
 2023年10月26日、三原城周辺を歩いた時の写真です。
 

 
 JR西日本_三原駅  [TOP]
 

 ストリートビューは コチラ
 右側にやっさ踊りの人形がある
 三原駅の WIKI によれば

 三原駅(みはらえき)は、広島県三原市城町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である[1]。 三原城本丸跡を横切るように建てられている[1]。三原港まで当駅から300 mと近い。
 当駅開業前は隣駅の糸崎駅が「三原駅」を名乗っていた。
 山陽新幹線の建設に当たって、福山 - 広島間の中間駅は尾道に設置する案と三原に設置する案があったが、いずれか1つを選択する予定になっていた。
 三原駅には線形的には乗り入れ可能でも市街地の用地買収が困難であり、一方で尾道駅には地形的に新幹線を乗り入れできないが、約2.5 km北に建設予定のバイパス道路沿いに新駅を建設する構想があってこちらが有力とされていた。
 ところが当時の三原市長の長尾正三が巻き返しにかかり、新幹線ルート上の地権者や住民3,828人の新幹線誘致同意の署名を取り付けて、1969年(昭和44年)1月に国鉄本社に持参した。
 これにより用地買収に問題が無いとわかり、在来線駅に新幹線駅を併設できる方が望ましいこと、福山 - 広島間の中間に近くなることなどから、国鉄の判断は逆転して三原駅が選択されることになり、新幹線開通と同時に新幹線三原駅が実現することになった。
 新尾道駅の開業が実現するのはそれから13年後の1988年(昭和63年)のことであり、工事費62億円は地元負担となっている[6]。
 

 
 三原城石垣  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 後ろに見えている建物が駅のホーム
 

 
 史跡 小早川城跡(三原城跡)  [TOP]
 

 指定:昭和32年12月11日
 所在:三原市館町・本町・城町
 『小早川家文書』によると、三原城は、瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景(たかかげ)が永禄10(1567)年沼田川河口に浮かぶ大島・小島をつないで築かれたと伝えられています。城は海に向かって船入を開き、満潮時には海に浮かんだように見えることから『浮城』とも呼ばれました。小早川氏の後は福島氏・浅野氏の支城となり、明治維新後には城の建物・樹木が競売に付されました。その後鉄道が本丸を貫き、明治27(1894)年には三原駅が開業しました。今では市街地化がすすみ、天主台跡とその濠、船入櫓跡、船入跡、中門跡などが残るのみです。
 

 
 史蹟_三原城址  [TOP]
 
 
 

 
 明治時代の天主台跡周辺古写真  [TOP]
 
 
 

 
 明治時代の天主台跡周辺古写真(拡大)  [TOP]
 
 左の古写真では、すでに三原城の天主台の櫓は壊されており、石垣のみとなっています。西国街道があった天主台跡濠の北側には、家が立ち並んでいる様子が見えます。右の古写真では、橋が架かっていますが、その後埋め立てられて現在のような道になりました。
 

 
 三原城石垣2  [TOP]
 
 
 

 
 三原港河口  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 メキシケムジャパン(株)三原
 会社の HP によると

 代替フロンHFC134a生産能力国内ナンバーワン
 

 
 三原港河口2  [TOP]
 

 正面の川は和久原川
 和久原川は和久原川の水刎(みずはね)で有名、水刎については コチラ

 みはら雑学王に掲載されている「和久原川の水刎」を見に行ってきました。
 みはら雑学王の中では「江戸の水刎」として、取り上げられ、「江戸の石垣技術の高さを誇る重要な土木遺産」と評されています。

 和久原川水刎(館町)
 川岸から川中に向けて三角形に石垣を築き出し、川の流れを弱める役と、流れの方向を変えて三原城の「東築出」の用地を確保する為に造られた石積みと考えられます。流水の強く当たる所の大石には、それぞれに穴を開け、鉄棒を通して連結してあるそうです。
 このような特技を持った三原石工は、愛知県の宇和島に呼ばれ、その土地の干拓工事に手腕を発揮しましたが、その優れた技術の故に、かえって妬まれ、非業の最期を遂げました。
 これを哀れみ、その供養の盆踊りが彼の地に残っている由「白松克太三原昔話」。現在水刎は和久原川西岸の東大橋の川上に一ヶ所、川下に五ヶ所、上流の清水橋の川下にも二ヶ所残っております。三原志稿には延宝八年(1680年)水刎、塵除を設けるとの記事が見えますが、これは河原谷川の事かとも解されます。尚 三次市の浅野堤にも刎が造られていました。
 

 
 三原港河口3  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 正面の小高い山は龍王山(665m)だろう
 

 
 株式会社_共仕販  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 森永乳業宅配サービスのようだ
 

 
 三原港の港湾施設  [TOP]
 
 
 

 
 抑留者引き揚げ船_興安丸  [TOP]
 
 興安丸の WIKI によれば

 興安丸(こうあんまる Kouan maru)は鉄道省が関釜連絡船向けに建造した鉄道連絡船。金剛丸型の第2船で、第二次世界大戦前から戦後高度成長期にかけて関釜連絡船、引き揚げ船、イスラム教巡礼船として使用された。船名は中国東北部に連なる大興安嶺山脈に由来する。
 

 
 興安丸  [TOP]
 

 昭和11年3月14日 三菱重工株式会社 長崎造船所で起工
 昭和11年10月2日 同造船所で進水
 鉄道省所有 7103総トン 最高速力23ノット
 旅客定員1746名 全船冷暖房装置
 昭和12年1月31日 関釜連絡船として就航
 下関-釜山間122海里を7時間30分で運航する
 昭和20年4月1日 山口県蓋井島付近で触雷 航行不能になる
 昭和20年6月20日 関釜連絡航路閉鎖になる
 昭和20年8月15日 太平洋戦争終結
 昭和20年8月31日 占領軍より引き揚げ船第一船
 に指定され博多・仙崎ー釜山間 往航は在日韓国人
 の帰国輸送に 復航は日本人の引き揚げにあたる
 昭和25年3月18日 朝鮮郵船(後の東京郵船)
 に払下げとなり 同年8月から朝鮮動乱(朝鮮戦争)
 により国連軍に傭船され 兵士や傷病兵の輸送にあたる
 昭和28年3月 外地から舞鶴へ引き揚げ輸送
 にあたる 初めは華北の秦皇島から同年11月
 にはソ連ナホトカから同32年8月1日には
 カラフトからこの日をもって戦後の引き揚げは
 完全に終止符がうたれる
 昭和32年8月 東洋郵船に譲渡され
 東京湾周遊を行い 東京の新名所となる
 昭和35年 ベトナム引き揚げに従事する
 昭和45年10月 横須賀から三原まで曳航され
 昭和史のもっとも激動の時期を生き抜いた「興安
 丸」は三原市木原町沖において解体され波乱の生
 涯を終える 同船とともに引き揚げに従事した
 船長 玉有 勇 氏の願いと同船で帰還した多くの
 戦友同胞の感謝と懐旧の念をして錨と船銘板を
 解体の地に保存し 永くその歴程を留めること
 とした
 昭和54年9月
 三原浮城ライオンズクラブ CN40周年記念事業 2004.3.20
 

 
 三原城築城450年記念  [TOP]
 

 プロペラの要目
 直径 6.3m
 品質 ニッケル アルミブロンズ製
 重量 約20トン
 制作 三菱重工業株式会社

 使用船舶の要目
 建造 今治造船株式会社
 船主名 正栄汽船株式会社
 船名 アメリカンハイウエイ
 全長 199.40m
 竣工 1977年3月26日
 総トン数 14,373トン
 速力 22ノット(41km/時)
 主機関 23,450馬力
 自動車搭載台数 約5000台
 三原の礎を築いた三原城築城450年を迎える
 この良き年に世界へはばたく瀬戸内元気都市
 三原の更なる発展と繁栄を願い推進力の象徴
 であるこのプロペラを寄贈致します。

 寄贈 今治造船株式会社
 グループ代表 檜垣俊幸
 2017年2月吉日
 

 
 アメリカンハイウエイのプロペラ  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 

 
 三原内港の出入り口  [TOP]
 

 三原内港については コチラ に詳しい

 三原内港

 旅客を専用とする瀬戸内海航路の拠点

 三原内港発着の旅客船・高速船

 旅客船
 三原〜鷺(佐木島)〜沢(生口島)〜瀬戸田(生口島)

 三原〜小佐木(小佐木島)〜向田(佐木島)〜沢(生口島)〜瀬戸田(生口島)

 高速船
 三原〜鷺(佐木島)〜重井(因島)〜土生(因島)〜因島モール〜土生(因島)〜立石(生名島)

 三原〜須波〜大久野島
 

 
 三原浮城まつり  [TOP]
 

 脇にJRのカレンダーがある。三原浮城まつりについては コチラ に詳しい

 いざ集う歴史への想い 天下の要塞として名を馳せた「浮城」三原城をテーマに小早川甲冑部隊が登場

 三原といえば、小早川隆景が築城した三原城の城下町。三原城は海から見ると、まるで浮いて見えたということから「浮城」の異名を取り、天下の要塞として名を馳せていました。その「浮城」三原城をテーマに、JR三原駅周辺で多くのイベントが開催される「三原浮城まつり」。見逃せないのが、隆景広場を皮切りに三原城跡歴史公園、三原駅前、マリンロード、港ステージなどを約50人の武者行列が練り歩く小早川甲冑部隊。まつりの風物詩である甲冑部隊の迫力を間近で体感してみましょう。

 第20回 三原浮城まつり
 日程:2023年11月5日(日)

 ●小早川甲冑部隊練り歩き
 ペアシティ西館→12:30三原城跡歴史公園(勝鬨)→12:50三原駅噴水広場→13:10舟入櫓
 →13:30キオラスクエア→13:40三原港屋外会場→14:00ペアシティ西館

 @西国街道の駅
 西国街道物産展
  京都から下関までの西国街道沿いのいいもの尽くし
  10:00〜16:00

 A三原城跡歴史公園
 メインステージでのイベント
  10:00〜安芸本郷太鼓
  10:30〜隆景音頭
  11:00〜大草神楽子ども研究クラブ
  12:30〜小早川甲冑部隊(勝鬨)
  13:20〜三原やっさ踊り振興協議会
  13:50〜安芸ひろしま武将隊
  15:00〜戸谷神楽団(北広島町)

 B三原駅前噴水広場・駅構内コンコース
 ミニ新幹線に乗ろう
  10:00〜12:00、14:00〜16:00
 踏切等非常ボタン体験
  10:00〜16:00
 空港イベント
  10:00〜15:00
 マーシャリング業務などのお仕事体験
  10:00〜12:00、13:00〜15:00
 お仕事ジェスチャーゲーム
  11:00〜11:30、14:00〜14:30

 C三原港会場
 10:00〜15:00
  木工ワーク、小早川隆景水軍の歴史、段ボール兜を着けて甲冑行列と記念撮影、FOOD&DRINK
 10:00〜11:30
  うきしろミュージック(ハーモニカ演奏、フルート・クラリネット演奏など)
 13:30〜14:00
  よみかたり&紙芝居

Dキオラスクエア
 茶道裏千家浮城茶会
  10:0
 

 
 JRカレンダー  [TOP]
 
 国鉄時代から色の配分は半世紀以上変わらないようだ
 

 
 みはら航路マップ  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 

 
 三原港付近の3階建て木造?  [TOP]
 
 
 

 
 三原城臨海一番櫓址  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 

 
 三原城臨海一番櫓址の石碑  [TOP]
 
 
 

 
 今井ビル  [TOP]
 
 
 

 
 三原城船入櫓跡石垣の看板  [TOP]
 
 石垣がはらんでいるため
 地震や豪雨の際には
 すみやかに石垣から
 離れて下さい。
 安全第一

 江戸時代中頃に浅野氏が改修した石垣隅角部
 宝永4(1707)年の大地震によってはらんだ石垣を
 江戸幕府の承認をえて築きなおされました。
 隅石は厚みのある石材を用いた後退期の算木積。
 

 
 三原城船入櫓跡石垣  [TOP]
 
 ストリートビューは コチラ
 

 
 土地区画整理記念碑 広島県知事 大原博夫  [TOP]
 
 
 

 
 三原城船入櫓跡石垣2  [TOP]
 
 
 

 
 ひずみゲージ?  [TOP]
 
 
 

 
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