大墓とよばれていますが、墓ではなく、南無阿弥陀仏の名号を刻んだ碑で、石仏の一種として建立されたものです。
弘化4(1847)年、当地の豪商、片山彦右衛門??を願主として作られました。
独特の書体で書かれた名号は、江戸時代後期、???として徳川将軍家の尊崇厚かった紀州(現在の和歌山県)出身の浄土宗の高僧徳本上人(1758-1818)の手になるもので、その高弟、本励(ほんれい)上人(?-1840)によって当地に招来されたものと考えられます。
本励上人は、甲立(こうだち)(現在の安芸高田市甲田町)の「唯称庵(ゆいしょうあん)跡のカエデ林」(広島県指定天然記念物)のカエデを植えた人物として知られています。願主・片山彦右衛門の妻(弘化3年歿・甲立の三上氏の娘)の甥にあたり、徳本十大弟子の一人に数えられるほどでしたが、耳が不自由だったのでこれを固辞し、故郷に帰ったと言われています。晩年3か年を片山家の庵室白露庵で過ごし、当地で歿しました。墓は法然寺の片山家墓所内にあります。
本碑敷地は戦後荒廃していましたが、平成元年になって商店主ら町の有志が中心となって働きかけ、70余名の喜捨によって整備されました。