2023年_しまなみ海道
 写真総数:34枚



 

 

 

 
 
初めに  [TOP]
 
 2023年10月25日、しまなみ海道サイクリングロードで尾道から土生(はぶ)港(向島)までレンタサイクルで走ってきました。その様子を再現するストリートビューによる写真です。一眼レフは重いので、もっていくのはちょっと・・・。
 

 
 尾道駅から土生港までレンタサイクル  [TOP]
 

 しまなみ海道サイクリングロードをレンタサイクルで尾道駅から土生(はぶ)港へと走る。
 しまなみ街道サイクリングロードの WIKI によれば

 しまなみ海道サイクリングロード(しまなみかいどうサイクリングロード、英: SHIMANAMI KAIDO cycling road)は、広島県尾道市から愛媛県今治市にある西瀬戸自動車道に併設する長距離サイクリングルート(英語版)[1]。ナショナルサイクルルートに指定されている[3]。
 日本初の海峡横断する自転車道[5]。日本で初めて車道の左側に導線としてブルーラインを引いた自転車道[6]。日本の自転車道の中で初めて『ロンリープラネット』『ミシュランガイド』の両方に掲載され[7]、2014年CNNから世界7大サイクリングルートに選定される[8][5]。サイクリストの聖地とも謳われる[9]。
 1999年すべての架橋が終わり広島県と愛媛県が陸続きとなり、公式的にはこの年に瀬戸内海横断自転車道(しまなみ海道サイクリングロード)が全線開通した[19][23]。

 尾道駅の WIKI によれば

 尾道駅(おのみちえき)は、広島県尾道市東御所町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅である。駅番号はJR-X18。
 尾道市の玄関口となる駅であり、山陽新幹線の新尾道駅より市街地と海が近く、当駅前後では瀬戸内海の景色が広がる。しまなみ海道サイクリングロードの尾道側出発点に位置付けられている。
 年表
 明治・大正期の尾道駅
 1891年(明治24年)11月3日:山陽鉄道が福山駅から延伸し、その暫定的な終着として開業。旅客・貨物の取扱を開始。
 2019年(平成31年)3月10日:建て替えられた南口新駅舎の使用を開始[4][5][6][7][10]。ツネイシホールディングス傘下の新会社TLB株式会社が駅舎2階部分の商業施設の運営にあたる[11]。
 

 
 尾道駅  [TOP]
 
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 尾道駅前にある自転車組立場  [TOP]
 
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 向島(むかいしま)行渡船(尾道渡船)のりば  [TOP]
 

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 この地図にあるしまなみCYCLEPITでレンタサイクルし、このフェリー(おのみち渡し舟株式会社)に乗り、向島へとわたる。

 尾道渡船の WIKI によれば

 尾道渡船(おのみちとせん)は、広島県尾道市に所在し、同市の土堂渡し場と対岸の向島町兼吉を結び、おのみち渡し船株式会社によって運航される渡船(フェリー)である。最盛期は9の航路があったが現在は3航路に減ってしまった。東西に細長い尾道水道で本土と向島を結ぶ渡船の中の一つである。
 古くから「兼吉(かねよし)渡し」と呼ばれた。往時には「本渡し」とも称され、今も昔も尾道の渡船の代表格である。 公営化10年後の1962年には、24時間220便を運航し、1日に1万3千人を運んだという。
 かつては尾道市と御調郡向島町(2005年3月28日に尾道市に編入された)が設立した一部事務組合 公営尾道向島渡船事業組合によって運営される公営の渡船であったが、1984年11月1日付けを以て、事業をすべて譲り受け、尾道渡船株式会社として営業を開始していた。公営時代の名残で「公営渡船」と言っても地元では通じる。
 尾道と向島を結ぶ渡船の中で最古といわれる航路であり、江戸時代の書物に登場する。人や物資の輸送とともに、不審者の島内への侵入を阻む警備の側面も大きかったといわれる。
  1807年(文化4年) - 広島藩からお触れ(渡海規則書)が出て業としての渡し船に移行する。島民は無料だったので「只の渡し」と呼ばれる。
  明治になって有料化される、運賃に肖って「一文渡し」と呼ばれるようになる。
 チャック(ズボンのチャック・ファスナー)という造語をした日本開閉器工場は、兼吉側桟橋を降りて直ぐ左側(東隣)にあった、現在パチンコ店の在る場所である。
 

 
 フェリー構内  [TOP]
 
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 向島(富浜)  [TOP]
 
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 向島(富浜)(陸側から)  [TOP]
 
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 小歌島橋  [TOP]
 
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 このブルーライン(水色?)にそって、しまなみ街道のサイクリングロードが続く
 

 
 交差点を左折  [TOP]
 
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 小歌橋を渡ってすぐの交差点を左折
 

 
 交差点を右折  [TOP]
 
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 交差点を右折  [TOP]
 
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 青い矢印の道へ行く
 

 
 因島大橋へのサイクリングロード看板  [TOP]
 
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 神泉教会  [TOP]
 
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 向島大橋  [TOP]
 
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 岩穴  [TOP]
 
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 向島休憩所  [TOP]
 
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 因島大橋  [TOP]
 

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 因島大橋の WIKI によれば

 因島大橋(いんのしまおおはし)は、広島県尾道市に架かる道路橋。瀬戸内海に浮かぶ因島と向島を結ぶ西瀬戸自動車道「しまなみ海道」を構成する橋梁である。
 1977年1月8日起工式、1983年12月4日供用開始[2]、総事業費は約675億円[3]。本州四国連絡橋尾道・今治ルートの本州側から2番目にある吊橋である。本州四国連絡橋3ルートの橋としては大三島橋に次いで2番目に竣工した橋であり、吊橋としては最初に架橋したものである[4]。
 

 
 因島大橋自転車道入口  [TOP]
 
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 左折ポイント  [TOP]
 
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 因島大橋自動車道の下  [TOP]
 
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 因島大橋西出口  [TOP]
 
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 登坂  [TOP]
 
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 因島フラワーセンター  [TOP]
 

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 因島フラワーセンターの WIKI によれば

 尾道市因島フラワーセンター(おのみちしいんのしまフラワーセンター)は、広島県尾道市因島に位置する植物園。因島フラワーセンターとも呼ばれる。
 1990年4月 - 広島県立因島フラワーセンターとして開園。財団法人県農林振興センターが管理運営。
 2004年 - 広島県が因島市(当時)に運営の移管を提示。
 2012年4月1日 - 約2500万円で委託していた指定管理者との契約を更新せず無料化、年間支出は1000万円程度とする。このため年4回程度の花壇の入れ替えも減らすとされる[1]。
 旧・因島市は造船の町であったが、不況のあおりであらたな町作りとして「水軍と花とフルーツの島」を掲げた。その中で、広島県の因島地域振興策の一環として1989年に開催された海と島の博覧会で会場として使われた後、翌年1990年に広島県立因島フラワーセンターとして正式オープンした。その後、広島県は財政改革のもと、因島市への移管かフラワーセンターの廃止を迫り、紆余曲折を経て因島市と合併した尾道市が引き継ぐこととなった。
 

 
 生口橋(いくちばし)への左折ポイント  [TOP]
 

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 生口橋の WIKI によれば

 生口橋(いくちばし)は、広島県尾道市にある道路橋。瀬戸内海に浮かぶ生口島と因島を結ぶ西瀬戸自動車道「しまなみ海道」を構成する。1991年土木学会田中賞作品部門受賞[2][3]。
 生口水路と呼ばれる幅約500m長さ約2,500mほどのこの海峡に橋をかけることとなり、計画の初期段階では最大支間長250mのPCラーメン橋として進めていたが、詳細に測量した結果、海峡内の橋脚予定地の地盤が想定していたものより軟弱であったことが判明した[1][2][3]。そこで計画が見直され、海峡内に橋脚を置かない長大橋とすることになり斜張橋に決定した[2][3]。
 

 
 生口橋への右折ポイント  [TOP]
 
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 角にローソンがある
 

 
 生口橋への左折ポイント  [TOP]
 
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 正面に瀬戸内海が見える
 

 
 生口橋  [TOP]
 
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 生口橋の真下  [TOP]
 
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 生口橋を渡る自転車専用道入口  [TOP]
 
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 大興寺(因島八十八カ所霊場)  [TOP]
 

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 因島八十八カ所霊場に関する ブログ によれば

 因島札所伝説
 むかし尾道に住む漁師が四国へ漁に出た帰りに一人の旅僧から「どこでもよいから舟の着いたところへおろしてもらえないかね」と便乗をたのまれたので快く舟に乗せ、途中なにごともなく、大浜の現在灯台のある浜辺へ降ろしました。
 旅僧は厚く礼を言って上陸しました。漁師は見るともなしに振り返ると、たった一人乗せたはずの旅僧がみるみるうちに増えて八十八人の僧が次々と上陸して行きました。
 この話は人から人へと伝えられ弘法大師が因島へ渡られたのだという噂が広まったのでした。
 その後も奇跡的な事がたびたびあったので明治45年因島の全村が話し合い島四国として、因島八十八カ所の札所を設けることになり全島民の奉仕でつくされました。この巡拝路程は84qで3日間のハイキングコースに絶好、旧3月21日(お接待の日)を中心に付近の島々や、かつては遠く北海道方面からも大師のご遺徳を偲び村上水軍の遺跡や美しい島のまわりの景色を訪ねつつ、島人の厚い情にひたる参拝客も多い。
 

 
 土生港(HABU PORT)  [TOP]
 

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 土生港(はぶこう)の WIKI によれば

 土生港(はぶこう)は、広島県尾道市因島土生町にある港湾。港湾管理者は広島県。地方港湾[1]。
 正式には「はぶこう」であるが、たまに「はぶみなと」と読まれることもある。
 開港時期などは不詳。因島では最も規模の大きな港であり、ここから四国や本州・尾道などへ船が運航されている。また、尾道や福山からはバスも運行されており、終点・始発はこの土生港であるものが多い。市民にとっては重要な交通拠点である。
 

 
 土生港レンタサイクル管理事務所  [TOP]
 
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 自転車をここで乗り捨てた
 

 
 高速船のりば  [TOP]
 
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 土生港のビル屋上から  [TOP]
 
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