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| 初めに
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2024年11月12日、富岡製糸場のある上信電鉄の富岡駅周辺を歩いた時の写真です。
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<----------------------- 画面の横幅標準(これくらいの幅で見ると見やすい) ----------------------> |
| 上信電鉄「高崎駅」
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(1)鉄道プレスネット によれば
「 700形は1988年から1989年にかけて54両(2両編成27本)が製造された、JR東日本の107系電車。105系電車に準じた車体を新造し、モーターや台車などは廃車になった国鉄165系急行型電車のものを再利用した。老朽化のため2017年までに全車引退したが、一部の車両を上信電鉄が譲り受けた。 」 上信電鉄の WIKI によれば 「 法人として存続する東日本最古の私鉄でもある。古くは高崎の地元資本に加え、三井財閥の資本も設立に関わった。 路線 上信線:高崎駅 - 下仁田駅(33.7km・駅数21) 」 (2)マスコットキャラは 富岡しるく 、 勤務先:上信鉄道株式会社、職務:駅務掛、デビュー日:2015年7月23日、誕生日:5月11日 牡羊座 鉄道むすめ キャラシリーズ、2024年11月現在:「鉄道むすめ」は総勢110名とのこと。 |
| 高崎観音&群馬めんたいパーク
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| 上州富岡駅発列車
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下仁田へ向かう列車
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| 上州富岡駅
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駅名がとても小さい、真ん中の柱の真ん中左当たり、開放的な感じ、時計がダリのよう、ダルマのつもりかしらん、駅の WIKI によれば
「 上州富岡駅(じょうしゅうとみおかえき)は、群馬県富岡市富岡にある上信電鉄上信線の駅である。 この屋根は細めの鉄柱群で支えられ、壁や床面は煉瓦を使う鉄骨煉瓦積造[3](鉄骨造と煉瓦積造の混構造)である。壁は煉瓦のみでなく中に鉄筋や筋交いが埋め込んであり[3]、柱も溶接されたブレース(筋交い)を煉瓦で挟み込み、強い耐震性を備えている。こうした構造は、富岡製糸場の木骨煉瓦積造にちなんでいる[3]。煉瓦は富岡製糸場と同じ、長辺と短辺を交互に並べる「フランス積み」を基本としつつも、筋交いを収容できるように長辺が連続する箇所を設けた「富岡積み」となっている[3]。煉瓦のみかけはやや黄色みがあり、汚れが目立たないようにしてあるほか、冬場の凍害を防ぐため吸水率を抑えた[3]。 」 |
| まちなか周遊観光バス
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まちなか周遊観光バスのご案内 によると
「富岡駅東駐車場を起点に、富岡駅・まちなか交流館を経由し富岡製糸場を結ぶ「まちなか周遊観光バス」を運行しています。乗り降り自由で、車内ではまちなかのみどころをご案内しながら巡回します。富岡製糸場周辺の路地の魅力をお楽しみください。駅から富岡製糸場へ向かう人にとても便利なバスです。 運行コース ◆往路 富岡駅東駐車場(発)> 上州富岡駅前 > 宮本町まちなか交流館 > 富岡製糸場(旧韮塚製糸場)前 ◆復路 富岡製糸場(旧韮塚製糸場)前 > 銀座まちなか交流館 > 宮本町まちなか交流館 > 上州富岡駅前 > 富岡駅東駐車場(着) ※上記停留所以外での乗り降りも可能です。運転手にお声かけください。 車内では まちなかボランティアガイドが同乗。富岡製糸場周辺の路地、お食事処、おみやげ、体験情報、見どころなどをご案内します。 バスの仕様 最高速度:時速19キロメートル 乗車定員:10人(運転手等含む) 全 長:4.4メートル 全 幅:1.9メートル シ ー ト:対面ベンチ型」 |
| 案内図
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駅から群馬県立世界遺産センターと富岡市役所の間を通り、諏訪神社をかすめ、信号のある交差点を通り、右手にあった製糸所への近道という銀座通りを通り、銀座まちなか交流館の脇をとおり、直進し、富岡製糸場の西棟のところにでて、右回りに、まわりこんで、正門から入り、製糸場の見学のあと、正門をでて、まっすぐ進み、仲町まちかな交流館の交差点のところにあるそばやでラーメンを食べる。そのあと、駅へと向かった。
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| 群馬県立世界遺産センター
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HP によると
「富岡市役所東に富岡製糸場と絹遺産群のための【群馬県立世界遺産センター】が誕生いたしました。本施設は上州富岡駅と市役所の間にある歴史的な倉庫群を再利用・再開発されて設立いたしました。 1号(れんが積み)、2号(大谷石積み)、3号(土壁)の3棟の倉庫と、乾燥場(木造)の4つの建造物から構成されています。この内1号(れんが積み)を世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」のガイダンス施設として生まれ変わりました。」 |
| 富岡倉庫株式会社
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| 富岡市役所
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隈研吾建築都市設計事務所 によるものである。
「明治時代の日本人の情熱を今に伝える世界遺産、富岡製糸場の街にふさわしい、ヒューマンで開かれた市庁舎を作った。鉄道の駅前、富岡製糸場へ向かう経路上にある立地を生かし、分棟型で、棟と棟の間を通り抜けできる、ストリート型の公共建築を実現した。「小さな屋根の集まり」としての分棟型建築とし、大きく張り出した庇は、日よけや雨やどりの空間としてストリートにやわらかさと躍動感を与えている。二重の勾配屋根の間に、通風・採光の高窓をとる形式は、養蚕の街富岡に伝わる越屋根からヒントを得た。」とある。 |
| 妙義山
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妙義山の WIKI によれば
「妙義山(みょうぎさん)は、群馬県甘楽郡下仁田町・富岡市・安中市の境界に位置する日本三大奇景の一つとされる山である。いくつものピークから成り、最高峰は表妙義稜線上の相馬岳 (1,103.8m) で、また妙義山系全体の最高峰は裏妙義に聳える谷急山 (1,162.1m) となっている。 妙義山はデイサイト溶岩、凝灰岩、礫岩で出来ている。いまから300万年前までの本宿カルデラを形成した火山活動があり、南西側にある荒船山と同時期に形成した溶岩体である。その後周囲の柔らかい堆積層が浸食され溶岩の岩体が露出したと考えられている。」 |
| 石仏
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群馬は石仏が多い?
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| 諏訪神社境内_市神様と山車倉庫
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(1)じゃらんのブログの写真に「市神様 市場紙」とある。市神とは WIKI によれば
「市場の守護神として信仰される神で、交易の場である市場の安全と公正な取引を期するために祭祀された。市神の祭りは正月の初市に行われるものが多く、酉市や暮市に行われるものがある[1]。 市場の開設される場所の多くは古くからの街道上で、市神は路傍に祭祀されたが、近代以後の交通事情により道路上から近隣の神社境内での開市とされ、市神も境内地に移される場合があった[3]。 神体は、円形の自然石が多く、球形の玉石、卵形、砲弾形、木造の六角柱、陰陽一対のものなどがある[1][2]。祭神は、神大市比売や市杵島姫といった市の名をもつ神、恵比寿(蛭子神・事代主神)、大黒(大国主神・大物主神)、稲荷神などの福利をもたらす神であることが多い。その他、須佐之男命(牛頭天王)、迦具土神(秋葉権現)などが見られる[2]。 」 市場神社の中には素晴らしい彫り物があるという紹介が コチラ のブログで紹介されている。 (2) 富岡どんとまつり で使用される山車がはいっているようである。 |
| 本殿の彫刻
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細工が細かいように思う
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| 諏訪神社 防火用水
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防火用水に「梶の葉」の神紋がある。 WIKI によれば
「梶の葉(かじのは)とは、カジノキの葉のこと。または、それを模した日本の家紋である。 梶の葉は、柏の葉と同じように食器として用いられ、後に神前の供物を供えるための器として用いられたことから、神職に用いられるようになった。 梶の葉紋は諏訪神社をはじめ信仰する氏子に広まり、神紋または家紋として浸透していった。 」 |
| 諏訪神社 本殿
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(1)本殿
(2)妻飾り |
| 吽行の獅子
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(1)吽行の獅子(2)阿行の獅子
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| 諏訪神社全体と石碑
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富岡諏訪神社 とは
「諏訪神社(富岡市)概要: 諏訪神社の創建は不詳ですが諏訪大社(信濃国一之宮:長野県諏訪地方)の分霊が勧請されたのが始まりとされます。当初は上野国甘楽郡宮崎村に鎮座していました。 天正18年(1590)宮崎城が豊臣軍の上杉勢に攻められ落城、その後徳川家康の重臣奥平信昌が3万石で入封、慶長6年(1601)に信昌が美濃加納藩(岐阜県岐阜市)に移封になると宮崎城は廃城となり城下にあった民家は富岡に移され、それに伴い諏訪神社も現在地に遷座しました。 当地の鎮守として信仰され江戸時代に入ると幕府から庇護され3代将軍徳川家光から社領10石が安堵し朱印状が発布されています。祭神は諏訪大社と同様に建御名方之命、八坂刀売之命。境内社は大国神社、琴平神社、秋葉神社、神明宮、市場神社。 現在の社殿は昭和9年(1934)に大改築したもので拝殿は入母屋、平入、桟瓦葺、桁行5間、正面1間唐破風向拝付、木鼻には獅子、漠、向拝には精緻な龍と神子の透かし彫が施されています。 本殿は一間社、切妻、銅板葺、平入、正面千鳥破風、1間軒唐破風向拝付。上記の宮崎城とは天文年間(1532〜1555年)に宮崎和泉守が築いた城で、当時の城主小幡吉秀が北条氏に従った為、天正18年(1590)の小田原の役の際、上杉景勝の家臣藤田信吉に攻められ落城しています。」 |
| 富岡銀座通り(富岡製糸場近道)
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| ようこそ群馬へ
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群馬大使HP によれば井森美幸と中山秀征が群馬大使になったのが、平成20年12月10日とあるので、2008年となる。このHPに毎年のポスターがあり、この和服の二人は「第7弾(平成26年4月から掲示)」とあるので、2014年となり、ほぼ10年前のポスターとなる。
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| 富岡銀座通り
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(1)この幅を車が通る!!
(2)飾り付け広告:第4回とみおかキッチンフェス(2024年11月)のポスター (3)ダルマの形の商店街案内:レトロな地元商店街 カフェラウンジCOCO&A STUDIO/岡重肉店/フランセ/プロヴァンス/花見せんべい/アサヒ葬儀造花店/食堂なみき/中島生花店/きりのや製菓/高田食堂/歌の店ひともと/スナックキョンジュ/居酒屋 福/ヘアーサロン平林/スナックベニバナ/ショーパブシルキードール/らりるれろ/中村薬局/タバコセンターたじま |
| まちなか交流館
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HP によると
「富岡製糸場近く銀座通りにある無料休憩所で、綺麗なトイレが自慢です。毎週土・日限定(※)で世界遺産伝道師の方々による「繭クラフト体験」が行われています。繭を使ってぐんまちゃんや簡単な動物を作ることができるので、お子さんにも大人気。 二階は絵手紙の常設展示場となっており、富岡で活動している絵手紙サークルのみなさんによる大小様々な作品が展示されています。」 |
| 煙突のある風景
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(1)右側に割烹料理店
(2) 龍光寺の大イチョウ 指定 富岡市指定天然記念物 平成19年(2007年)02月02日指定 所在 富岡市富岡1193 龍光寺境内 樹種 イチョウ イチョウ科イチョウ属 樹齢 伝承400年 解説版引用 樹形 樹高 23.5m 胸高周囲 5.0m 故事・伝承等 龍光寺は、長禄年間(1457~1460 ) 奥平氏により宮崎村(現富岡市営崎)に創建され、慶長十七年(1612)から元和三年(1617)にかけて富岡町 (現富岡市富岡)が創設された際に、宮崎から現在地に移転しました。 このイチョウには、龍光寺が富岡に移った際に宮崎から移植されたという伝承もあります。 (3)路地の先に見えるのは、旧富岡製糸場の煙突。右手に見える老舗割烹藤屋の看板と一つの風景を成しています。後ろを振り向けば龍光寺の大いちょうが・・・。かつて、煙突から煙がでていたその姿は、ここからどのようにみえていたのでしょうか。 富岡まちてくサイン |
| トタンの蔵
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群馬だと大谷石を使わない?
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| 西繭倉庫
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(1)西繭倉庫とは HP によると
「 国宝「西置繭所」は、明治5年築の木骨煉瓦造、2階建て、桟瓦葺きの建物で、長さが約104mあり、主に繭を保管する倉庫として使われてきました。 このたびの工事で保存修理と耐震補強、そして活用するための整備が併せて行われ、1階には耐震補強用の鉄骨を骨組みとしたガラスの部屋を整備し、資料展示室(ギャラリー)と多目的ホールを設けました。 2階の展示エリアでは、貯繭倉庫として長年使われてきた空間を体験いただけます。」 (3)片倉裏通り:旧富岡製糸場(昭和62年までの製糸場は「片倉工業(株)富岡工場」であり、地元では長く「片倉」という名で親しまれてきました)の西側の通りで片倉西通りとも呼ばれています。ここから見る西繭倉庫は穴場的なスポットとしておすすめです。 富岡まちてくサイン 、片倉工業の名前は、は自転車好きの私としては、どうしても、片倉シルクの一連の自転車が思い浮かべる、なかでも、片倉シルクのキャンピング車はあこがれだったね、その時のチラシが コチラ 、このシートステイのクロスの形状や、ギドネットレバーのブレーキとかにおおいにあこがれたもんですね。 |
| 富岡製糸場正門前の南北の道
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(1)理容店つかごしの名前が見える
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| 城町通り
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正門から東側をのぞむ。城町通りとは ブログ によれば
「この道は、明治5年富岡製糸場が建設されたことで生まれた道です。江戸時代初期にはこの地区は「城」という字で呼ばれていた記録があり、そのため「城町通り」と呼ばれるようになったと思われます。製糸場建設当時は資材を積んだ大八車がたくさん通りました。」 |