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| 初めに
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2025年7月24日に長崎県の出島停車場から長崎駅まで歩いた時の写真です。
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<----------------------- 画面の横幅標準(これくらいの幅で見ると見やすい) ----------------------> |
| オレンジ色の玉のオブジェ
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ドラゴンプロムナードにあるオブジェ
長崎港ターミナルビルの解説によると 「 ドラゴンプロムナードは、全長約200メートル、幅約25メートル、展望デッキは一番高い所で地上約20メートルになります。1998年に米国の建築家が龍踊りをモチーフにデザインし、完成しました。長く伸びた龍がオレンジ色の玉(直径約19メートル)を追い掛ける姿を表現しています。高さ20メートルの球体の横にある展望デッキからは長崎港が一望でき、木製デッキは人々の憩いの空間、イベントスペースとして幅広く利用できます。使用料金も安価です。是非、ご利用ください。 」 |
| 軍艦島クルーズ
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| 長崎臨港鉄道の車輪跡
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長崎臨港鉄道の歴史というブログによると
「 1930年に長崎駅と出島岸壁に至る約1.1kmの長崎臨港鉄道が開通しました。 長崎臨港鉄道は、旧JR長崎駅から南に約1.1km延伸し、玉江橋西に架けられていた鉄橋を渡り、出島岸壁に発着する日華連絡船と連結しました。 旧長崎港駅 旧長崎港駅は長崎本線の終着駅で、1930年に日華連絡船との客貨接続を目的として開業しました。 連絡船入港時には、門司駅からの航路連絡のための列車が当駅まで乗り入れていたそうです。 1942年に関門トンネルが開通したことに伴うダイヤ改正で、特急「富士」が当駅(旧長崎港駅)始発として運行されました。 大波止橋からは「車輪のモニュメント」や鉄橋の橋脚跡を見ることができます。 旧長崎港駅方面は線路が複線になっています。 旧JR長崎駅方面の線路は単線になっています。 長崎臨港鉄道:車輪のモニュメント 旧JR長崎駅から延伸された長崎臨港鉄道は、1987年まで貨物線として利用されていました。 1930年に開通した長崎臨港鉄道は、日華連絡船の長崎入港日には、連絡列車『急行富士』が長崎から東京まで運行され、上海〜東京の所要時間は、約54時間30分でした。 長崎臨港鉄道の廃線跡の線路が残されている場所は、長崎市出島町だけになります。 レールの一部のほかに蒸気機関車の車輪がモニュメントされています。 車輪の横には鉄板で作られた説明書が置いてあります。 説明書によると、戦後は帰国する米軍の捕虜を港まで運んだり貨物輸送に使用されていたそうです。 その後、1943年の上海航路で、最後まで残った「上海丸」が揚子江で沈没し、長崎臨港鉄道は事実上の終焉を迎えました。 」 ストリートビューはコチラ |
| 1950年代の長崎港(出島岸壁)
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1956年(昭和31年) 撮影 高原至
(1)鍋冠山 (2)旧グラバー住宅 (3)旧常盤町倉庫 (4)旧長崎県庁 (5)出島岸壁(現在位置) (6)仲町教会 (7)三菱旧工業長崎造船所 (8)旧長崎魚市 (9)長崎旧駅舎 (10)浦上川 長崎港は1571年に開港し、オランダや中国との交易で榮え、さまざまな文化や学問を発信してきました。また、昔から「鶴の港」と呼ばれるほど美しい港として、多くの市民に親しまれており、昭和から平成にかけては大きな変貌を遂げました。 長崎港の沿革は長崎港HPから 「 みなとの歴史と将来 長崎港の沿革 長崎港は、1571年ポルトガル船が入港し交易を求めたことで開港されました。その後、1636年に出島、1702年に新地蔵所(現在の中華街付近)などの人工島が築造され、鎖国時代の唯一の海外への窓口として、大きな役割を果たしてきました。 安政の開国以降、東山手・南山手地区などに外国人居留地が造成されると、グラバー商会などが設立され、近代産業の中心として、また明治〜大正にかけて、港湾施設や造船所などが整備され、最重要港湾(7港)のひとつとして、上海、大連、北米航路など、西日本の海上輸送の拠点(バンカー港)として発展しました。 戦後、港湾法の制定に伴い1951年に重要港湾に指定され、日本経済の復興とともに、基幹産業である造船業の生産が拡大、港湾取扱貨物も増大し、1970年深堀・香焼間の埋立による工業用地が完成し、100万トンドックなどの大型造船施設の建設が始まりました。 1972年には、外貿施設として小ヶ倉柳埠頭が整備され、その後、毛井首工業用地、皇后埠頭、小江埠頭、神ノ島工業用地が順次完成し、1995年に福田マリーナが完成し供用を開始しました。 一方、内港地区においても、五島列島などとの人流・物流の拠点、県民の交流の拠点として、また「ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001構想」のリーディングプロジェクトとして、1988年に長崎港内港再開発事業に着手し、元船〜常盤・出島地区にかけて整備を行い、2003年「長崎水辺の森公園」が完成し供用を開始しました。また、2009年に10万トン級のクルーズ客船を受け入れる松が枝国際観光船埠頭の完成、2012年にはCIQ機能に特化した「長崎港松が枝国際ターミナル第2ビル」を供用開始、2019年にはクルーズ客船の寄港隻数が延べ2,000隻に達しました。 物流面では、小ヶ倉柳埠頭において、荷役効率向上等を目的にガントリークレーンの供用を2017年に開始、2019年には小ヶ倉柳埠頭の拡張整備が完了し、貿易拠点として更なる活用が期待されています。 2020年には松が枝観光船埠頭において、16万総トン級のクルーズ客船が2隻同時に着岸できる「松が枝国際観光船埠頭2バース化事業」に着手し、クルーズ客船受入体制の強化を図っています。また、2021年には開港450周年と節目の年を迎えました。 」 |
| 女神大橋
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ながさき旅ネットというサイトから
「 女神大橋(ヴィーナスウィング)は、長崎港によって分断されている長崎市南部と西部を最短距離で結んでいます。塔と桁を斜めに張ったケーブルでつないで支える構造を持つ斜張橋としては、国内で6番目の長さを誇り、大型船舶も通過可能な桁下65mの高さを確保しています。 また、夜間にはライトアップされ、香港・モナコと共に「世界新三大夜景」のシンボルとなっています。通常は白を基調とした照明ですが、イベントの際は彩りある演出照明がされます。その美しさは「日本夜景遺産(ライトアップ夜景遺産)」にも認定されました。 有料道路「ながさき女神大橋道路」となっていますが、歩行者は無料で通行することができます。車の場合は、ながさき女神大橋道路は駐停車禁止なので、駐車場に車を止めて散策しましょう。 」 |
| 観光丸
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旅関連のブログによると
「 帆船観光丸 復元された帆船観光丸は、国立アムステルダム海事博物館所蔵の設計図と模型を元に、出来る限りかつての姿に合わせて復元・建造したものです。航海中は、展帆作業やロープワークなど、参加型アトラクションを楽しむことができます。 帆船 観光丸は、日本初の洋式船であった幕末の帆船観光丸を当時のままに復元したそうです。幕末にオランダ国王から徳川幕府へ献上された蒸気帆船を復元したのが幕末の観光丸です。船体、船室、キャビンなどの彫刻も当時のままに再現されていて、内装材(バンキライ)や甲板(色子)なども当時の観光丸が使用したものと同じ材料を使っているそうです。 全長:65.80m・全幅:14.50m・喫水:4.2m メインマストの高さ:32m・マスト数:3本 総トン数:353t・スピード:10ノット 乗船定員:300名 動力:帆走、スクリュー機走、バドル(外輪機関)による機走(ディーゼルエンジン搭載) 建造:コンポジット方式(鉄と木を組み合わせる方式) 建造費:12億円 」 観光丸のクルーズのビデオはコチラ |
| 女神大橋と観光丸
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| 長崎港ターミナル
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長崎港ターミナルビルのHPはコチラ
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| 市指定有形文化財 大波止の鉄玉(別名 鉄砲玉)
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長崎市のHPによれば
「 大波止の鉄玉(別名 鉄砲玉) (おおはとのてつだま) 市指定有形文化財 指定年月日 平成19年5月1日 所在地 長崎市元船町10番 この玉の由来については、江戸時代当時から不明な点が多い。しかし、古来より長崎名物の一つとして有名であり、当時これ程大きな鉄製の玉は他になく、我が国鋳物史の上からも貴重な資料と考えられている。周約175センチメートル、短径約52センチメートル、長径約55.7センチメートルを測る。 鉄玉の製作年については、長崎の鋳物師(いもじ)の阿(安)山(あやま)一族が盛んに活躍し、大きな梵鐘などを手がけた17世紀中頃と推測される。なお、2段目の台座は、明治25年(1892)の顕彰による製作物である。 この玉は、大砲の弾丸でない可能性があり、江戸時代当時に呼び名が定まらなかった背景もあるため、文化財指定にあたり、「大波止の鉄玉」と呼称し、長年の愛称「鉄砲玉」を併記することとした。 備考 地図検索<外部リンク> 路面電車・バス「大波止」下車徒歩3分 」 |