上野浅草スカイツリー巡り 
2017年3月20日撮影:撮影場所(東京都台東区):写真総数44枚


 

 


 

 
 
 初めに  [TOP]
 
 友人3人で、上野、合羽橋、浅草、旧玉ノ井町、スカイツリー界隈を散歩してきました。

 

 
 旧下谷小学校  [TOP]
 
 この建物を調べてみますと、旧下谷小学校ということがわかりました(参照元)。それによると建てられたのが関東大震災(1923)後の昭和3年(1928年)に竣工とあるので、ざっと90年近く経つことになる。周辺では震災復興ということで、昭和4年(1929)には同潤会アパート等が建てられ、かなり、モダンな建物が作られた地域のようだ。
 

 
 レトロな建物  [TOP]
 
1枚目の歯医者は比留間歯科医院といって、レトロな建物マニアにとっては有名な所であるらしい。
 

 
 下谷神社  [TOP]
 
アヒルの名前はガー子ちゃんらしい。石碑には寄席発祥の地とある。
 

 
 レトロな建物2  [TOP]
 
赤い鳥居を取り込んだ建物はJINJA BARと書いてある通りのバーのようである。
 

 
 レトロな建物3  [TOP]
 
2枚目の写真は蓮城寺である。
 

 
 下谷神社の鳥居  [TOP]
 
 

 
 寿湯  [TOP]
 
 

 
 龍谷寺のキブシ  [TOP]
 
 

 
 スカイツリー  [TOP]
 
 

 
 小道  [TOP]
 
 

 
 ボルダリングジム  [TOP]
 
 

 
 レトロな建物5  [TOP]
 
KKKK
 

 
 木造モルタル4階建?  [TOP]
 
 

 
 区立上野小学校の時計塔  [TOP]
 
 

 
 伊能忠敬の墓  [TOP]
 
 源空寺で偶然出会った。
 伊能忠敬は、50歳にして天文学に入れあげ、55歳にして、お供5人を引き連れて、蝦夷へむけて出立した。政府の思惑は北のロシアを意識しての、蝦夷地測量が眼目であったようだ。高齢な事等で、当初は幕府もあまり期待していないような向きがあったようであるが、まさに、好きこそものの上手なれの典型の生き方で、ひっくり返してしまったのは、今の時代でも共感できる部分もある。
 墓に刻まれた文字は「東河伊能先生之墓」である。なお、この寺に伊能忠敬の墓があるのは、師匠である高橋至時のそばでという伊能氏の言葉によるものらしい。生まれた地である千葉県香取市の観福寺にも伊能忠敬の参り墓があるようだ。
 

 
 源空寺本堂  [TOP]
 
 

 
 幡随院長兵衛の墓  [TOP]
 
 今回何故源空寺に向かったというと、友人T氏の父方の先祖がこの幡随院長兵衛の養子?に迎えられたことにある。確かに掲示を見ると、本名塚本伊太郎とある。詳細は掲示もしくはここを参照してください。これによると、日本の侠客の元祖とも言われるらしい。普段のT氏にはそのような雰囲気はないが、「怖がって逃げたとあっちゃあ名折れになる、人は一代、名は末代」の啖呵をきって、敵方の酒宴に一人で乗り込む度胸と男気は受け継いでいるのかも。結局、風呂場で殺されてしまったらしいが。
 

 
 谷文晁の墓  [TOP]
 
 同行したナオ氏とシゲ氏によれば谷文晁の作品は贋作も含めて、なんでも鑑定団によく出てくると、盛り上がっておりました。
 

 
 愛犬ジョンの墓碑銘  [TOP]
 
 

 
 かっぱ河太郎  [TOP]
 
 約200年前、合羽屋喜八氏が洪水防止の掘削工事を始めたとさ、同じ名字なので、意気に感じたかさだかでないが、河童達が夜な夜な、工事を手伝い、難工事を完成させたことに由来しているとのことである。
 

 
 レトルトカレー自販機  [TOP]
 
 ご当地レトルトカレーの店、カレーランドの隣にある自販機である。詳細はここ。自販機から見えるのは、1.淡路島たまねぎカレー、2.牛タンと黒ゴマのカレー、3.?、4.カレーですよ(東京都)、5.大阪難波 自由軒 牛スジカレー、6.三陸 ホタテビーフカレー、7.富山県氷見市 氷見牛カレー、8.和歌山県 小南農園のみかんカレー、9.ダイセンハーブチキンカレー、10.MISAWA THE PAIKA curry、11.紀の国仕立てカレー(梅干し入り)、12.よこすか海軍カレー、13.?、14.赤城牛ビーフカレー、15.完熟ミニトマトとやまがた地鶏のカレーである。
 

 
 浅草花やしき  [TOP]
 
ジェットコースターの恐怖は、乗り物と建物の接近度にありそうだ。車載映像はココ
 

 
 屋形船とスカイツリー  [TOP]
 
 

 
 煉瓦の蔵  [TOP]
 
隅田川沿いウオークでみかけたものである。
 

 
 旧玉の井  [TOP]
 
 玉の井は文士たちが集った色街である。詳細はココ。それによると、永井荷風のほかに、徳田秋声、檀一雄、太宰治、高村光太郎、武田麟太郎、サトウハチローなどが、この街を訪れたとのことである。  1枚目の掲示板には、既に無くなった玉の井町町会と残っていた。3枚目の家屋が数珠つなぎのようになったのは、めったに見なくなったが、当時の建物が残ったものかもしれない。4枚目の写真には、短い小路にスナック2軒、小料理屋1軒、カラオケ店1軒が見受けられる。往時の面影が残っているような気がしないでもない。
 

 
 旧玉の井2  [TOP]
 
 

 
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