恐 山 
2014年9月9日撮影:撮影場所(青森県むつ市):写真総数44枚



 

 

 

 
 
 初めに  [TOP]
 
  約20数年前、まだ、筆者がまだ20代後半のころ、遺跡発掘のバイトで知り合った仲間たちと、東京から下北半島へのキャンプ旅行を決行した。行ったのは夏の暑い盛り、恐山の湖畔にテントを張ったのであった。、青森県に生まれ育ちながら、恐山へと行ったのはその時が初めてであった。死者の霊が集まる場所とかいう、陰気くさい場所であろうという先入観で訪れたのであったが、透明度の高い青緑色の湖、起伏にとんだ開放的な賽の河原、そして、温泉と、ちょっとした保養地のような印象であった。
  青森に戻ったので、恐山再訪をして、写真撮影を行うこととした。
 

 
 下北駅  [TOP]
 
  以下の経路で下北駅へ向かった。
筒井駅〜野辺地駅 07:16〜07:57 約40分 青い森鉄道線 片道1040円
野辺地駅〜下北駅 08:02〜08:58 約60分 JR大湊線 片道 片道1140円
 朝7時に自宅を出発。天気はうす曇りといったところだ。陸奥湾を左手に見ながらの列車旅である。9時ちょっと前に下北駅に到着。乗り継ぎ時間は7分ということで、急ぎ足でバスに乗車する。バス車内から改めて駅舎を見て見ると、かなり新しい。かつて来た時の駅舎を建て替えたようだ。ネット情報によると駅舎の共用開始は2009年とのことであった。かつての駅舎の写真 を示す。

 

 
 太鼓橋  [TOP]
 
  バスは市街地を抜けて、山中へと入る。恐山への道はかつて硫黄高山への道でもあったためか、よく整備されている。途中、冷水(ひやみず)というバス停でバスの運転手の観光サービスで途中停車する。殆どの人が下車する。、私も清水でをすすいで数分休憩する。ここでは写真を撮れなかったので、ネットの写真 を示す。
  冷水を出発後、10分もかからずに、恐山の湖である宇曽利(うそり)湖の唯一の流出河川である、その名も恐ろしい三途の川を渡る。湖畔にかかる赤い橋は太鼓橋である。バスから映した写真が左の写真である。だが、バスからなのでちょっと苦しい。 もっときれいな太鼓橋の写真群 を示す。

 

 
 恐山バス停  [TOP]
 
  まもなく終点である恐山のバス停へ到着する。乗客は10人程度であった。比較的若い20〜30代の人が多かったような印象だ。
 

 
 寺の前の広場  [TOP]
 
  寺の前に拡がる広いスペース、駐車場だけにしては広すぎるような。恐山大祭の時にはここがうまるのであろうか。かつてここでキャンプした時は、このスペースには湖畔のアシ原があったような気がするのだが・・・。時の流れを感じた瞬間であった。
 

 
 6大地蔵  [TOP]
 
  駐車場脇に地蔵と言うにはちょっと強面で巨大な6地蔵がある。あとで入場の際のパンフレットで調べると、ただの地蔵ではなく六大地蔵ということだ。
 

 
 総門  [TOP]
 
  境内に入る前に入り口である総門を撮影。入山券500円を購入後に入場する。
 

 
 山門  [TOP]
 
  総門をくぐった後、境内の中間部にある山門を撮影。やはり寺内の建築物は背景の自然の借景で見栄えが違うのを実感する。ちなみに、パンフの解説によると、2枚目の背景の山は地蔵山だ。あと、恐山はこの地域一帯を総称した地名であり、単独の恐山という山はないということらしい。
 

 
 常夜灯  [TOP]
 
  常夜灯が火山ガスである亜硫酸ガス等の影響であろうか、かなり変色している。
 

 
 風車  [TOP]
 
  風車(かざぐるま)に囲まれた常夜灯。風車は境内の売店で売っているとのことだ。幼くしてなくした子供への供養なのであろうか。あと、一説には、この付近の火山ガスは危険なので、風向きに注意を向けるために置いたとかいう話もあるが、真偽のほどは不明だ。しかし、今回行った時は残暑のころだったから、風車の回るカラカラという音は涼しげだったが、秋口だとかなり、もの寂しい光景となりそうである。
 

 
 仁王像  [TOP]
 
  山門の両脇にある仁王像である。左側が口を閉じた吽行仁王、右側が口を開けた阿行仁王である。衣の水色がチェレステカラーで、なにかしら華やかな配色だ。
 

 
 温泉小屋  [TOP]
 
  境内の真ん中あたりに、薬師の湯という男性用の温泉小屋がある。女湯はここから少し離れた所にある。ここは20数年前に、真夜中に入湯し、非常に良い気持ちとなった記憶がある。今回もバスが来る間際まで、ゆっくりと温泉を堪能する。先客がいたため、撮影は遠慮したが、以前とかわらぬ風情にちょっと灌漑に更けることとなる。ネットにあった温泉内部の様子 (6枚目の写真)を紹介する。
 

 
 卒塔婆堂  [TOP]
 
  卒塔婆堂、中をみると、卒塔婆を集めているようだが、全ての卒塔婆というわけでもなさそうなので、どういった意図の建物なのかちょっと不明である。
 

 
 屋根つきの卒塔婆  [TOP]
 
  屋根つきの大きな卒塔婆が林立していた。
 

 
 路傍の地蔵  [TOP]
 
  頬かむりした地蔵たち。
 

 
 親亀の上に子亀  [TOP]
 
  親亀の背には子亀がある。まるでボトルシップのような像である。石から削ったのであろうか。あるサイトの話(7枚目の写真)では「穴を模した岩も含めて全て一つの岩からのインテグラル(削り出し)です。」とあるが、そんなことが出来るのであろうか。大きな謎である。
 

 
 本尊安置地蔵堂  [TOP]
 
  本尊安置地蔵堂には円空の仏像が2体収められているという。本尊は見ることはできなかったが、円空作の観音菩薩半伽像と十一面観音像、本尊である地蔵菩薩像の写真があるサイトにあった。11番目の写真がが慈覚大師円仁作という本尊・地蔵菩薩像、12,13番目の写真が円空作の像である。
 

 
 地蔵堂前の狛犬  [TOP]
 
  地蔵堂前にある狛犬(口が閉じているので吽形(んぎょう)とその子である。子狛犬の表情がユーモラスだ。
 

 
 火山ガス噴気孔  [TOP]
 
  噴気孔が至る所にある賽の河原。黄色い部分から火山ガスが噴出している。この辺一帯は戦後すぐぐらいまで、イオウ鉱山であったという。あの黄色い部分がイオウなのであろう。火薬の原料として利用したらしい。 賽の河原の写真集 は膨大な数があるのでお暇でしたらどうぞご覧ください。
  あと賽の河原の起伏のある場所は、なんと、イオウ採掘のため、重機で掘り起こした跡だそうだ。寺の前の平らな場所には、鉱山の飯場や、なんと遊郭があったそうだ。等々、霊場にしては、ちょっと興ざめな話があるサイトで述べられている。
 

 
 よだれかけの狛犬  [TOP]
 
  狛犬にもよだれかけが・・・。
 

 
 小山  [TOP]
 
  重機で積まれた小山であろうか?
 

 
 高台から境内遠望  [TOP]
 
  本堂裏手の高台から恐山を望む
 

 
 火山ガスで腐食した硬貨  [TOP]
 
  火山ガスで腐食した10円玉?
 

 
 慈覚太子堂  [TOP]
 
  慈覚太子堂、ここの風車のレイアウトが一番いい感じであった。
 

 
 延命地蔵尊  [TOP]
 
  延命地蔵尊遠望
 

 
 小川  [TOP]
 
  黄色く変色した小川
 

 
 石積みの山  [TOP]
 
  高く積まれた小石
 

 
 八角円堂  [TOP]
 
  緑に囲まれた八角円堂
 

 
 マント地蔵  [TOP]
 
  マントをまとった地蔵
 

 
 水子地蔵  [TOP]
 


  水子地蔵たち、拡大して見ると、15歳、19歳とかいう年齢が彫られているのが見えるのがある。生きているかのような、生々しい顔の地蔵がはやりなのだろうか。
 

 
 東日本大震災追悼  [TOP]
 
  湖畔にたたずむ地蔵は東日本大震災の犠牲者を追悼するためのものである。右側が鎮魂の鐘、左側が希望の鐘とある。
 

 
 宇曽利湖  [TOP]
 
 

 
 エピローグ  [TOP]
 
  湖畔沿いに出口付近まで戻る。後はバスが来るまで温泉につかり、まさに極楽極楽状態で、帰宅となった。
  恐山は3大霊場とかイタコとかで、スピリチャアルなものととらえがちであるが、硫黄鉱山の採掘のおまけで出てきた温泉を湯治場に活用したり、重機でできた硫黄採掘の小山を賽の河原として宣伝してみたりと、この寺の管理者は、この場所のテーマパーク化に成功した凄腕のプロデューサーともいえるかもしれない。
 

 
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