みちのくツアー2007

角館から田沢湖へ (MAP)  2日目第3章 2007.1.2

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■ 製糸工場の機能美 ■



  町外れの方向に歩いていくと、黒塗りの木造建物が見えてくる。旧製糸工場の建物であり、明かり取り用の高い窓に機能美が感じられる。おそらく明治期に建てられたものであろう。それ以降も火災、空襲に会わないという幸運で残っている建物は貴重なものだ。是非後々まで残しておいて欲しいものだ。


■ 神社から地球史のロマンが香る ■



  さらに歩いていくと、周辺の地面よりちょっと突き出た岩の上に建っている神社を発見する。自然への畏怖を感じさせる神社である。この後に行く神明宮がのる小山も安山岩で構成されているという。安山岩は火成岩であるから、この周辺のちょっと突き出た岩も、地下のマグマが冷えたものが、長い年月を経て、地表に現れてきたものであろう。ユーラシア大陸東縁から分離して出来たのが日本列島であるから、そのときの激しい火山活動の名残がこの突き出た岩ではないか。この出っ張りに地球史のロマンを感じ、しばし、ただずむのであった。日本誕生のロマンに浸ったあと、T字路にある大きな鏡の前でポートレート撮影を済ませるのであった。


■ 菅江真澄 ■

  次に、神明宮境内にある「菅江真澄終焉の地」の石碑にたどり着く。菅江氏は江戸時代の紀行作家だ。三河(愛知県)で生まれ、東北、北海道地方を旅し、この角館で最期を迎えたらしい。東北でよくあった飢饉の時の陰惨な人食いの話等、様々詳細な記録を残している。この菅江氏は民俗学の父ともいうべき柳田国男が賞賛する人でもある。いわば民俗学の”祖父”に相当する方なのである。


■ 進軍太鼓の少年兵士 ■

  次に高台にある神明宮の本殿をみるべく、参道を登っていく。期待通り角館を見渡せる場所であった。眺めを堪能し、本殿を見た後は脇にある車道を歩いて帰ることにする。途中に鼓笛手の像があるという案内があり、鼓笛手とはなんだろうと思い、案内に従って、坂を登ってみる。頂上付近には小さな神社があり、その脇には太鼓をかかえた少年の銅像があった。


■ 白虎隊と正反対? ■

  銅像の由来によると、戊辰戦争(1867-1868)のとき、角館の属する秋田藩のみが明治維新軍に属し、東北の他藩が旧幕府軍につき、東北戊辰戦争というべき戦いが、ここ角館でも行われたらしい。秋田藩の援軍のために、大友藩(長崎県)から300名ほどの兵士がやってきたという。その中に病弱の父親の代わりにきたという15歳の少年兵浜田謹吾がいたという。鼓笛手として戦いに臨み、故郷から遠く離れたこの地で戦死したということである。いわば白虎隊と反対の立場という所だろうか。このころの勢力争いはほんとにややこしい。


■ 渦巻神社 ■

  そして、その神社の由来を見ると、この神社は渦巻神社という何やら怪しげな名前の神社であるということだ。雪で埋まって見えないが、一メートル四方の木の囲いがあり、そこの中に岩が出ているらしい。パネルの説明によると「この石は安山岩の岩石が露出し、これが玉ねぎ状をしているところから祭神も渦巻神社と称して居ります」とある。鹿島神宮にも確か地震の元ととなるものとして、地表に突き出た石の突端部を敬っているのを見たことがあるが、それと似たようなものだろうか。それでも、岩の割れ方をそのまま祭神とまでするのは、ちょっと珍しいような気がする。


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